これから研究医を目指す学生が自分を語ります。
*第11回*  (H24.10.1 UP) 前回までの掲載はこちらから
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今回は京都大学医学部医学科6年生の森 圭史さんです。
   未だ見ぬ明日へ
                     京都大学医学部医学科6年 森 圭史

IEO(イタリア)のMusacchio研のメンバーと。送別会での一枚(左から2番目が森さん)

 幼い頃より将来は科学者になりたいという強い意志があり、高校生の時に実際に自分はどの研究分野に適性があるのだろうかと考えていた。その中で発想力も大事ではあるが、やや文系的なところがあり、かつ目に見えて社会に還元できるということで医学を選ぶこととなった。大学の先輩学生は自主的に学部の時から自由に研究室に出入りできるということを入学前から知っていたので、どこの研究室にお世話になるかと思案していた頃、ちょうど自分の学年からラボローテーション、つまりは研究医育成プログラムの前段階の制度ができたようだ。その数年後、研究室で自由に「遊んで」いるうちに、自分がこのプログラムに登録されているということを聞いたときは少し驚いたが。
 流行りを追い、大衆に与するのではなく、自身が大事であると考えたことをやるべきだという性格の持ち主である私は、いくら研究医になりたいとはいえ、当初はこのようなプログラムに自分に合うのか疑問ではあったが、第1回琵琶湖リトリート(平成22年9月開催の基礎医学キャリアセミナー)の案内を聞いた瞬間、これは面白いかもと思った。このリトリートは京都大学医学部を卒業され、基礎医学の第一線にいらっしゃる先生方を囲んで1泊2日のセミナーを行うというものである。先生方の意見を伺うだけでも楽しいのに、先生同士の本音の議論に同席できるとは、この上なく幸福である。予想通り、議論は徐々に漫談に変わって行ったが、言葉の端々から滲み出るサイエンスへのプライドと人間臭さは、改めて研究の世界は楽しく、正しくアプローチさえすれば勝負できるという自信をつけるのには十分であった。
 他大学との合同リトリートも忘れてはならないものであった。医学部は定員が約100人であり、6年間変わらないということを考えると、異なる文化圏に属する未来の医学者と交流を持ち、同時に他大学の研究の一端を拝見できるというのはとても魅力的である。担当の先生から運営を依頼されたとき、二つ返事でよろしくお願いしますと申し上げた。他大学の学生、先生方と事前のやりとりの末、当日はそれぞれの学生の研究発表(もしくは、自分の興味や研究室の紹介)を口頭又はポスターで行い、会食を挟んだ後、学問の話然り、他愛もない話然り、議論は深夜まで続くものであった。他大学の学生に質問をすると自分の予期せぬ返答が返ってくるもので、貴重な体験であった。
 さて、研究医育成プログラムの定期的な活動としてはjournal club がある。これは学生1人が担当となり論文紹介をする、どの研究室でも行っているであろうものであるのだが、さすがは100年の伝統のおかげであろう、侃侃諤諤というべきか、私よりも若年の学生たちが生き生きと議論しているではないか。その活発さは、ヨーロッパで経験するものさながらであり、日本人の力は昔からそうだが、決して捨てたものではないということを再認識することとなった。チューターとしておいでの先生方も温かく見守るだけでよいようだ。
では、参加学生は日頃はそもそも何をしているかというと、私については授業または臨床実習に出席した後、放課後はひたすら部活と研究室での実験というのが日課であった。実験とは目的遺伝子作製と導入、3次元培養、イメージングを主に行っていた。かつては授業も出ずに実験ばかりされていた先輩もいらっしゃったそうだが、私は授業に出席することにより、単に教科書的知識や最先端の知識を手に入れるのではなく、むしろ言葉の間から漏れ出てくる先生のものの見方、教養というのを味わいたかったからである。ありとあらゆる人から過労を心配されるが、これに関しては強き意志・身体を授けてくれた両親に感謝せねばならない。そもそも、どれも楽しかったので全く精神的負担はなかったのだが。
 大学生という時間は、能力は高いのに責任が少なく、利害にも振り回されずに行動できる最初で最後の機会である。私は京都大学に入学できたという最大に幸運なことを活かし、神社仏閣・博物館・バー巡りに加え、京都の町並みそのものを満喫でき、学業面では他学部の先生・友人と交流する、京都大学やその近辺で開催されるシンポジウム・セミナーに足を運ぶ、2ヵ月間海外で研修することもできた。これらに共通する目的は何か。答えは単純である。面白そうだから。研究活動も同じである。自然の叡智の一部を人より先に覗き見できるというのはとてもわくわくするものである。
怠惰に過ごした1日は、思い切り何かに夢中になって過ごした1日よりはるかに早く過ぎ、決して戻って来ない。それを悟って私は、やりたいことを思う存分やってきた―と信じたい。僭越ながら、もし本文を読んでいる後輩がいるのなら、伝えたいことが1つある。もし、少しでも研究活動に興味があるのなら、とりあえずやってみればよい。いや、むしろやらないと価値判断できないのみならず、一生の後悔になりかねない。研究医育成プログラムというのは、数ある課外活動の1オプションである。いわゆる現代的な視点からは、孤独に研究をする必要はなく、またよき友が見つかるチャンスとみなせるかもしれない。自分に向いていないとわかれば辞めるのも自由なのである。私は巡り合わせでこのプログラムで楽しい時間を過ごすことができた。もうすぐ私は卒業で、次はあなたの番であろう。私はあなたよりも先に基礎医学の世界に身を投げたが、いつかはお互いが一人前の研究医となり、未だ見ぬ明日に世界で最初に踏み込んでしまい、共に未来の中を生きる仲間となれば、この上なく幸せである。