大学の教授が研究医として歩みだした頃のことを回顧します。
*第27回*   (H27.1.30 UP)  前回までの掲載はこちらから
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今回は秋田大学医学部長の 伊藤 宏 先生です。
 プロフェッサーがヒヨコのころ
       秋田大学大学院医学系研究科長・医学部長 伊藤 宏(循環器内科学・呼吸器内科学 教授)
        
 

ヒヨコの頃の私(左)と現在

 

 「虚血性心疾患の研究はもう終わった。これからは心筋症の時代だ!」・・。
 虚血性心疾患の研究を行っている先生が聞いたら怒り出しそうなこのコメント、30数年前、循環器内科医になって1年目の頃の私が言った言葉らしいのです。

 「らしい」と言ったのは、このことは当時一緒に働いていた先輩から10数年経った後にはじめて聞いたことで、自分自身では全く憶えていないからです。先輩からこの話を聞いたとき、私は顔から火が出るほど恥ずかしかったことを思い出します。まったく不見識で、生意気で、思い上がりも甚だしい。もし現在、私の目の前でこんな事を言う若い医師がいたら、強く叱りつけていることでしょう。
 なにしろ本人が忘れてしまっているので、この私の言動が真実か否かは闇の中なのですが、しかし、当時の私なら言い出しかねない話だと思っています。20歳代の頃の私は、多くの若者がそうであるように、世間知らずで、力もないのに粋がっていましたから。「100年後の医療を変えるような研究をしてやる」と、本気で思っていました(今振り返ってみると全くの思い上がりですが・・)。また(虚血性心疾患のことはさておき)「心筋症」に興味を持っていたことも確かです。
 心筋症は当時「特発性心筋症」と呼ばれた心疾患で、心臓の筋肉に異常を来して心機能障害に陥り、多くの患者が死に至ります。心筋症に関わるたくさんの研究がなされてきましたが、それにもかかわらず30数年経った現在でもその病因はほとんど判明していませんし、治療法も有効なものはほとんどありません。
 私が循環器内科医となった1980年代前半、心筋症研究の主流は病理学でしたので、私は当時所属していた東京医科歯科大学第二内科から、心臓病理の権威として有名だった東京女子医大の関口守衛教授(後に信州大学教授)の元に国内留学をさせて貰いました。大学卒業後5年目のことです。
 その後、さらに心筋症研究を勉強したいと思い、1996年から米国スタンフォード大学に留学しました。始めはスタンフォード大学の心臓病理学、Margaret Billingham教授のもとで病理を勉強していたのですが、留学して数ヶ月後に私の人生における一大転機が訪れました。Billingham 教授が共同研究をしていた腫瘍学の研究室に出向して、分子生物学手法を用いた「アドリアマイシン心筋症に関する研究」を行うことになったのです。当時はまだ遺伝子組み換え技術が開発されて間もない頃ですので、私自身、分子生物学に関する知識はほとんどないなか、独学で勉強しながら見よう見まねで実験を行いました。詳細は省きますが、その結果はProc.Natl.Acad.Sci.U.S.A.に掲載されました。
 1989年に帰国。所属教室である東京医科歯科大学第二内科にもどったものの、当時の教室には実験設備はほとんどありませんでした。それでも主任教授の丸茂文昭先生から倉庫として使われていた部屋をいただいて、最低限の実験設備を買いそろえて研究を始めました。部屋の壁があまりに汚かったので、休日に自分でペンキを買って塗ったりしたことが、いまでは懐かしく思い出されます。その後だんだん研究も軌道に乗り、今で言うフィジシャン・サイエンティストの端くれとしての生活が始まりました。昼は臨床をやり、夜は夜中まで実験をするという毎日で、何日も医局や実験室に寝泊まりということもありましたが、若かったから出来たのだと思います。たいへんでしたが、楽しい日々でした。研究テーマは「心筋肥大」や「心臓リモデリング」に関する分子生物学的研究ですので、始めに目指していた「心筋症研究」からあまりずれてはいなかったと思います。

 今になって振り返りますと、30数年前、粋がって生意気ばかり言っていた私が、東京から遠く離れた秋田大学で教授になり、現在は医学部長をしているというのも、人生の不思議としか言いようがありません。
 私の人生は目標も定まらず行き当たりばったりのまま、ここまで来てしまった気がします。あまり人にお薦めできる生き方ではありませんが、そんな私が何か若い人にアドバイスが出来るとしたら、「あまり先のことを考えずに、目の前にある何か面白いことを探してやってみる」といったことでしょうか?人生、どのように転がって行くかわかりませんので・・。

【筆者略歴】

1980年3月  東京医科歯科大学医学部医学科・卒業
1980年4月~ 東京医科歯科大学医学部・第二内科 
1986年6月~  スタンフォード大学医学部・リサーチフェロー 
1989年7月 東京医科歯科大学医学部・第二内科 
2001年8月~  東京医科歯科大学医学部循環器内科・講師
2002年2月~  東京医科歯科大学大学院循環制御学・助教授 
2003年9月~ 秋田大学大学院医学系研究科循環器内科学・呼吸器内科学・教授 
2012年7月~  国立大学法人秋田大学 副学長
秋田大学医学部附属病院長
 
2014年4月~  秋田大学大学院医学系研究科長・医学部長