大学の教授が研究医として歩みだした頃のことを回顧します。
*第32回*   (H27.11.26 UP)  前回までの掲載はこちらから
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今回は鳥取大学画像診断治療学分野教授 小川 敏英 先生です。
 「形態と機能」
                    
                            鳥取大学医学部画像診断治療学分野 教授 小川 敏英

        
 

秋田県立脳血管研究センターの研究員時代

 

 「綺麗なluxury perfusionだね」。突然、読影室に入って来られた上村和夫先生の第一声であった。私が、大学卒業後4年目に勤務し始めた秋田県立脳血管研究センター(秋田脳研)で、脳血管撮影の報告書を書いていた時のことである。当時の放射線研究部長の上村和夫先生のこの言葉は今でも忘れることなく、その瞬間を切り取った絵と共に、鮮明に記憶している。私にとって、この言葉は全く予想もしていなかった。連続撮影された脳血管撮影では、右中大脳動脈閉塞の再開通に伴うcapillary blushが明瞭に示されていた。私は、この画像から血管閉塞に伴う再開通という形態的な変化をとらえたにすぎず、同部位が機能的にはluxury perfusionを呈していることを全く意識していなかった。秋田脳研で診療、研究を通じて初めて、画像診断とは単に形態を診断することではなく、機能診断を含め病態診断をすることを学んだ。その後、神経放射線診断を専門に選ぶと共に、研究に興味を持つ契機になった瞬間であったように思う。
 秋田脳研では、脳血流の定量的評価法である「Kanno−Lassen法」で有名な菅野巖先生を中心とする物理グループと島津製作所で開発した、ポジトロンCT(PET)を用いた研究を開始した。CTやMRIから得られる形態学的情報では解明できない病態が、PETによって次々に解明されると共に、脳の機能地図が明らかになる興奮を味わうことができた。私は、主にPETを用いて脳腫瘍および放射線壊死を始めとした脳腫瘍の治療後の変化を研究した。その仕事が、結果として学位論文として纏まり、その研究が縁で米国国立衛生研究所(NIH)のNeuroimaging sectionで研究する機会を得た。その部署の責任者は、Di Chiro先生であり、世界的に有名な神経放射線科医である。Di Chiro先生は常々”I am a textbook”と言い、質問があれば私に聞くようにと言われていた。先生もまた、PETによる機能診断法を重要視していた。

 このような経験から、私はCT やMRIの画像を見るときには、機能的変化を常に推測するようになった。また、MRIとPETを対比することから画像の病理学的背景を考えるようにもなった。そこで、秋田脳研では死亡後に剖検が得られた症例については、病理でのbrain cuttingの前に剖検脳のMRIを撮像させて頂いた。その後のbrain cuttingや病理標本の検討では、神経病理研究部の吉田泰二先生から、一緒に顕微鏡を見ながら画像の病理学的背景をお教え頂いた。その中で、MRIでの形態的変化が明らかではないが、PETで機能的変化が明瞭な症例に遭遇した。そこで機能的変化が持続すれば、形態的変化が出現するのではないかと考え、脳梗塞症例の剖検脳と病理学的所見を丹念に検討した。その中から、脳梗塞の原発巣から遠く離れてはいても、神経線維連絡がある関連部位では機能的変化が形態的変化をもたらすことを、MRIで証明できると確認した。このような経験から、神経系の画像診断においては、画像の病理学的背景を推測すると共に、形態診断に機能診断を加え、原発巣から離れた神経線維連絡を有する遠隔部の変化を常に考えるようになった。また、そのような遠隔部の変化が臨床的にどのような意義を有するのかについても興味を持った。

 今から思えば医師となって4年目に、画像診断では誰にも負けないと思い上がっていた自分自身を恥じ入るばかりである。画像診断の奥深さから研究の面白さを教えて頂き、医師としてあるいは研究者として、常に謙虚さを忘れることなく努力する重要性に気づかせて下さった上村和夫先生に感謝している。また、医師・研究者として、人生において大切なメンターと出会った幸運にも感謝している。

 研究は何も特別なことではないと思う。日常診療で疑問を思ったことを突き詰めることも研究である。ただ、どのような研究を行うにしても、originalityに拘りたい。他の研究者の後追い研究は意味がないとは言わないが、独自のアイデアで勝負することが重要である。特に、臨床研究に関して多数例を集積することが困難な地方では尚更である。鳥取大学医学部のある米子市には、「がいな祭り」という夏祭りがある。その際には、がいな万灯という出し物がある。実はこれは、秋田竿灯の「パクリ」である。江戸時代から260年以上もの歴史のある秋田竿灯に対して、僅か30年の歴史の米子万灯の意味するものは何だろうか。真似だと承知の上で行うのであれば、本家を凌駕するものとしなければならない。ただ、研究において私は、originalityが最も大切だと思っている。

 私の尊敬する上村和夫先生は、「優れた機械・装置が無いから研究ができないというのは詭弁である。そのような研究者に優れた機械・装置を与えたからと言って優れた研究はできない」と言われた。研究とはどのような環境であっても、研究者のアイデアと努力によってできるというものだと思っている。


【私の履歴書】

1979年3月 秋田大学医学部卒業
1979年4月 秋田大学医学部放射線科助手
1983年3月 秋田県立脳血管研究センター 放射線医学研究部研究員
1987年7月 米国国立衛生研究所(NIH) Neuroimaging Section研究員
1989年2月 秋田大学医学部附属病院放射線科講師
1990年4月 秋田県立脳血管研究センター 放射線医学研究部主任研究員
1997年7月 鳥取大学医学部放射線医学講座教授
2007年4月 鳥取大学医学部附属病院 副病院長および卒後臨床研修センター長
2013年4月 鳥取大学医学部画像診断治療学分野教授(名称変更)
  鳥取大学医学部医学科長 
2015年4月  鳥取大学大学院医学研究科長・医学部長