大学の教授が研究医として歩みだした頃のことを回顧します。
*第42回*   (H29.10.16 UP)  前回までの掲載はこちらから
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今回は岐阜大学医学部長 湊口 信也 先生です。
 「研究を行うようになった経緯」
                                  
                  岐阜大学大学院医学系研究科長・医学部長 湊口 信也(循環呼吸病態学教授)

        
  平成元年 メルボルン大学医学部にて(中央が筆者)  

 私は現在、岐阜大学大学院医学系研究科循環呼吸病態学(第二内科)の教授として、臨床・研究・教育を行う立場にいます。今回、「研究を行うようになった経緯について」の執筆をということですが、私は、研究のみを専門に行っているわけではなく、臨床医をやりながら同時に研究(臨床研究、基礎研究)を行うという立場の者です。どのような経緯で研究に取り組むようになったかについて述べたいと思います。
 私は昭和53年3月、岐阜大学医学部医学科を卒業後すぐに岐阜大学医学部第二内科に入局しました。第二内科は循環器、呼吸器、腎臓の3領域を担当する内科であり、病棟では、これら3領域の患者の主治医となって臨床研修を受け、臨床経験を積んでいくという毎日を過ごしていました。
 その中で、私は特に循環器に興味を持ったため、循環器を専門とする医師になりました。
 大学院でのテーマが「ヒト心臓β受容体とカテコラミン」であったことから、まずは臨床におけるヒトを対象とした研究を行うようになりました。
 ヒト心臓β受容体に対するカテコラミンの親和性を、薬理学的な手法から求めると同時に、当時、測定がようやく可能となったばかりであった血漿カテコラミン(ノルアドレナリン、アドレナリン)濃度をHPLCを用いて測定し、心不全患者、高血圧症患者における血漿カテコラミン濃度の動態に関する研究を行いました。

 この時の疑問は、果たして血漿ノルアドレナリン濃度の上昇が本当に交感神経亢進を示しているのかどうかということでした。

 血漿ノルアドレナリン濃度は、交感神経末端からの遊離量と腎臓、肝臓、その他での代謝のバランスで決定されることから、交感神経末端からのノルアドレナリン遊離量を測定しなければ真の交感神経亢進は分からないのではないかと考えました。

 オーストラリアのメルボルン大学に、この交感神経末端からのノルアドレナリン遊離量を測定している研究者がいることを知り、大学院を修了した後、当時の教授の許可を得て、メルボルン大学に留学させていただきました。

 メルボルン大学では、ウサギ心不全モデルを用いて交感神経末端からのノルアドレナリン遊離量の測定、交感神経末端α受容体を介するノルアドレナリン遊離量の調節に関する研究を行いました。結局、心不全状態では、交感神経末端からのノルアドレナリン遊離量は亢進しており、心不全状態では交感神経亢進が実際に起こっていることを確認でき、自分でも納得したわけです。

 メルボルンに行くまでは動物実験の経験は全く無く、動物実験については留学先で学びました。

 帰国してからは臨床研究を行うと同時に、動物実験については、ウサギを用いた虚血心筋保護の研究を現在まで一貫して行ってきました。1986年に、Murryが、心臓は本格的な心筋虚血に陥る前に短時間の虚血があれば、その後の本格的な虚血による心筋障害の程度が劇的に軽減されること、すなわちischemic preconditioningという現象を発見し、大きな話題になっていました。そのメカニズムさえ解明されれば画期的な虚血心筋保護薬が開発されるのではないかと皆が考えたわけです。

 そのため、私も、Ischemic preconditioning効果のメカニズム解明から実験を始め、その後は、種々の循環器薬剤を用いたpharmacological preconditioning効果の検討、サイトカインのG-CSFを用いた幹細胞動員による再生医学、 erythropoietinとdrug delivery system(gelatin hydrogel, liposome)を用いた修復再生医学、最近では多能性幹細胞であるMuse細胞を用いた急性心筋梗塞後の心筋再生治療法の開発に関する研究、などを行っています。

 臨床現場での疑問、未だ解決されていない問題について、それらを基礎研究・実験医学の場で解明していく(from bedside to bench)、さらに、基礎研究・実験医学で解明されたメカニズムを基にして、新しい診断法・治療法を開発し、臨床現場で役立てていく(from bench to bedside)、すなわち基礎医学と臨床医学が相互に関係しあってこそ、ヒトの役に立つ新しい医療につながるのだと考えています。


【私の履歴書】

昭和53年3月 岐阜大学医学部卒業
昭和53年4月 岐阜大学大学院医学研究科入学(内科学第二)
昭和53年5月 医師国家試験合格、医籍登録
昭和55年6月 揖斐病院内科勤務
昭和56年5月 岐阜大学大学院医学研究科復学
昭和58年3月 岐阜大学大学院医学研究科博士課程修了
昭和58年4月 岐阜大学医学部付属病院医員(第二内科)
昭和60年8月 医学博士 学位取得
昭和61年4月 岐阜大学医学部付属病院助手(第二内科)
昭和63年4月 岐阜大学医学部助手(第二内科)
平成元年5月  オーストラリア、メルボルン大学医学部(Dpt of Pharmacology)留学 
平成2年9月 岐阜大学医学部助手復職(第二内科)
平成6年4月 岐阜大学医学部併任講師(第二内科)(外来医長)
平成6年8月 岐阜大学医学部講師(第二内科)(病棟医長)
平成9年6月 岐阜大学医学部助教授(第二内科)(医局長)
平成14年4月 岐阜大学大学院医学研究科再生医科学循環病態学/呼吸病態学(第二内科)助教授(医局長)
平成19年5月 岐阜大学大学院医学研究科再生医科学循環病態学/呼吸病態学(第二内科)教授
平成24年4月 岐阜大学大学院医学系研究科副研究科長
平成28年4月 岐阜大学大学院医学系研究科研究科長、医学部長