大学の教授が研究医として歩みだした頃のことを回顧します。
*第43回*   (H30.1.15 UP)  前回までの掲載はこちらから
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今回は大阪市立大学教授 鶴田 大輔 先生です。
 「わたしが研究医として歩み始めた頃のこと」
                                  
                       大阪市立大学大学院医学研究科 皮膚病態学教授 鶴田 大輔

        
  大阪市立大学名誉教授(皮膚病態学)故濱田稔夫氏(左)に「せっかくのチャンスなのに、
どうして自分で身につけようとしないのか!!」とおしかりを受けている私(右)
 

 現在までに至る私の研究者としての経緯が少しでも若い医師の参考になればと思い、僭越ながら執筆させていただきます。
 私が医師になろうというきっかけになったのは、高校3年生の頃に整形外科に入院したことです。この病気のために受験をすることができませんでしたが、その時に主治医であった先生方に憧れ、医学部を1年後に受験し合格することができました。医学部の間にも臨床医になる選択肢以外は全くありませんでした。4回生の時に、大阪市立大学には修業実習という仕組みがありました。3-4回生で講義をして下さった基礎医学の研究室に応募し、直接その研究室で2-3か月の間研究をさせていただくのです。私は、当時、生化学教室を主宰されていた、大谷修造教授(後、医学部長)、湯浅勲助教授(後、大阪市立大学生活科学部教授)の研究室に所属させていただきました。そこでは、ポリアミン生化学を研究されていました。湯浅助教授から、ポリアミンに関する英語の総説や図書などをたくさんいただき、学生でわからないことだらけですが、何とか読んでいく経験ができました。この時までは日本語のものしか読んだことが無かったのですが、英語であろうが、日本語であろうが、どうせ医学的なことを読んでも6-7割程度しか定着できないのであれば、英語で読んでも大差ないのだと開き直る経験が早くから身についたのはよかったと思います。湯浅先生はポリアミンの代謝酵素の一つ、SATというものを発見された先生で、「ハーパーの生化学に書いている酵素はポリアミン代謝の実は律速酵素ではなくて、SATの方が重要だと思っているのですよ」とおっしゃっていて、私もそのような教科書を超えた仕事をされた先生に直接お教えいただくことをとても誇りに思いました。細胞培養、ウエスタンブロット、吸光度測定、RI実験(何に使ったのか全く覚えていない!)など種々経験させていただきました。私がその論文のどのパートに関与したかも定かではありませんが、湯浅先生は御好意にもセカンドオーサーにしてくださいました。これが、私の経歴の今でも最初の論文になっています。

 このような経験があり、当初の予定とは全く異なり、「研究ができる教室」を進路の一つに考えるようになりました。いくつか可能性がありましたが、私は皮膚科学教室を選びました。理由は濱田稔夫教授の主宰する医局の雰囲気に魅力を感じたからです。二年の研修の後、当時は大学院に行くことが普通のことでしたので、希望しました。しかし、当時の皮膚科学教室の状況から、石井正光助教授(後、教授)のお計らいで解剖学教室にお世話になることになりました。ここでは、金田研司教授が中心となり、蛍光顕微鏡、電子顕微鏡を駆使して、細胞動態を研究しておりました。私は、表皮内ランゲルハンス細胞と表皮樹枝状T細胞の相互作用を研究しました。この仕事は今振り返っても稚拙なものですが、自分で考え、自分で実験を組み立てるという良い経験になったと思います。

 この時に電子顕微鏡での観察は普通にできるようになったため、臨床でも役に立つことがありました。一つは、当時電子顕微鏡でしか診断できないとされていた、メルケル細胞癌を診断できたことがあります。この経験した患者さんは、ヒ素中毒の既往があり、ボーエン病と合併した非常に珍しい症例でしたので、私にとっての初めての英文論文になりました。また、Granulomatous slack skinという疾患の病態解明のために電子顕微鏡で観察した折には、見たこともない、特殊なライソゾームを見つけ、オートファゴライソゾームとして報告しました。オートファジー病の一つであると思いますが、出すのが早すぎたのか、まったく今もって注目されておりません。電子顕微鏡を常に使用する時代は終わっていますが、今でも電子顕微鏡技術が必要になった時にはいつでも行うことができるという自信になっており、時折、他大学との共同研究などの時に役に立っています。

 その後、皮膚科学教室に帰り、私が研究で使ったテクニックを最大限生かせる臨床分野は何かを考えた場合、自己免疫性水疱症であることに思い至りました。きっかけがあり、アメリカシカゴにあるNorthwestern University細胞分子生物学教室のJonathan Jones教授の元に留学することができました。そこで、自己免疫性水疱症である水疱性類天疱瘡のターゲットとなるヘミデスモソーム構成分子のダイナミクスについて3年間研究しました。これまで、ヘミデスモソームは強固な接着装置であり、およそダイナミックな構造ではないと信じられておりましたが、当時萌芽期にあったLive cell imaging技法により、少なくとも分子レベルでは、ダイナミックな構造であることを世界に先駆けて報告することができました。この後、私は今に至るまで、水疱性類天疱瘡の発症機序解明研究を続けております。また、ヘミデスモソーム構成分子は何も自己免疫性水疱症だけではなく、毛成長、創傷治癒などにも重要な役割を果たしますので、ヘミデスモソームー基底膜から見た種々の皮膚疾患の病態解明を使命に研究を続けております。この文章が皆様の何かの参考になればと思います。



【私の履歴書】

平成4年 大阪市立大学医学部卒業
平成10−12年 生登会寺元記念病院皮膚科医長
平成11年 大阪市立大学大学院医学研究科博士課程修了、医学博士
平成12−15年 米国ノースウエスタン大学細胞分子生物学教室ポストドクトラル・リサーチフェロー
平成15−17年 大阪市立大学病院講師
平成18−23年 大阪市立大学大学院講師
平成23年 久留米大学准教授
平成23-25年 大阪市立大学大学院講師、久留米大学客員准教授
平成25年4月-現在 大阪市立大学大学院教授、久留米大学客員教授兼任
平成27年4月-現在 大阪市立大学医学部附属病院病院長補佐
平成28年 和歌山県立医科大学非常勤講師兼任
平成29年-現在 近畿大学医学部非常勤講師兼任
平成29年-現在 大阪市立大学大学院医学研究科長補佐