大学の教授が研究医として歩みだした頃のことを回顧します。
*第57回*   (2020.4.28 UP)  前回までの掲載はこちらから
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今回は金沢医科大学医学部長 川原 範夫先生です。
 「研究医として歩み始めた頃」
                                  
                                金沢医科大学医学部長 川原 範夫(整形外科学教授)

        
  エモリー大学に手術に行った時、富田先生と一緒に(1993年)  (右側が筆者)  
 金沢大学を卒業後に部活動の先輩の勧めもあり、すぐに整形外科の医局に入局しました。当時は交通事故、労働災害などで数多くの骨折・外傷患者が病院の救急部に搬送されてきておりました。ハンマー・のみなどをふるい、骨にスクリューなどをねじ込んでダイナミックに骨接合を行う整形外科にあこがれていたのもあります。まず大学病院で研修した後、富山と福井の2つの第一線病院をローテートし、整形外科全般を学びました。救急車のサイレンを聞くと夜中でもわくわくして救急室に駆け付けたものです。運動靴を履いたまま寝ているのかといわれたものでした。
 大学院生であった私は卒業して3年後に大学に帰ってきました。大学に帰ってきて2か月くらいで当時の講座主任(野村進教授)の教授室に呼ばれ、「ところで君の学位のテーマは何にしようか?」と言われました。先輩にそのように聞かれたら「なんでもいいです」と答えるのだと聞かされていた私は即座に「なんでもいいです!」と答えました。「それじゃ君は脊椎だな」といわれ、当時助手であった脊椎専門の「馬場久敏君(現在、福井大学名誉教授)に頼もう」と第2研究室に連れていかれました。そこで昼寝中の馬場先生は「馬場君、馬場君、川原君を頼む」と野村教授にゆり起こされ、飛び起きた直立不動の馬場先生のびっくりとした表情が忘れられません。整形外科には骨肉腫などの腫瘍グループ、脊椎グループ、関節グループ、骨折・外傷グループなどがあり、順番に医局員が割り当てられていたようです。これが脊椎・脊髄外科の研究を始めたきっかけです。まったく主体性、モチベーションがなくお恥ずかしい限りです。

 側弯症の矯正手術の際に脊髄も伸ばされ、障害される可能性があります。研究テーマはどこまで脊髄を伸長したら障害されるのかを電気生理学的に脊髄誘発電位を用いて明らかにしようとする動物実験でした。脊髄は椎間を1㎝伸ばした時に電位変化が記録されること、障害は誘発電位の低下としてとらえられ、脊髄圧迫傷害で認められる陽性電位は記録されない事を初めて見出すことができました。脊椎手術での脊髄機能モニタリングの実験です。もちろん最初は麻酔のかけ方、維持の仕方、手術手技の確立など安定したデータがでるまで1年以上かかりました。昼夜を問わず、実験を続け2年でようやく再現性のあるデータを蓄積することができ、学位論文をいただくことができました。

 脊椎は脊髄を含み、周囲には肺、腹部内臓などの重要臓器、大動静脈などが存在するという解剖学的特徴を有するため、当時脊椎腫瘍に対する外科的一塊切除は不可能とされ、脊髄除圧を目的とした姑息的な掻爬術が行われていました。短期間で遺残腫瘍から局所再発、麻痺を来していました。その時富田勝郎先生(現在は金沢大学名誉教授、金沢先進医学センター理事長)が教授に昇任され、四肢の悪性腫瘍と同様に脊椎腫瘍も周囲の靭帯、骨膜を含めて腫瘍学的に一塊として切除する腫瘍脊椎骨全摘(局所根治術)を始めたわけであります。医局員から助手にしてもらったばかりの私は幸運なことにその第1例目から第1助手でアシストすることになったわけであります。しかし、この後が大変ないばらの道でした。

 本手術は脊髄機能を温存するために、一塊とした椎弓切除と椎体切除からなっています。まずは新規手術なので専用の手術器械を作ることから始めました。大きく開ける開創器、椎体を肺などから隔絶する各種へら、シャープに骨切りする特殊な糸鋸であるT-sawなどです。

 手術を安全に行う上で最も大切なのは術中出血対策です。その年のすべての解剖学実習用御遺体の脊柱周囲の大動静脈、分節血管を調査し、血管解剖の理解を深めました。術前の腫瘍血管塞栓術も従来の当該高位のみでなく頭尾側を含めた合計3対(6本)行う方法により、術中出血量を半減させることができました。しかし本手術では切除椎骨高位の分節血管からの脊髄血流が遮断されるので虚血性脊髄障害が危惧されます。このことから欧米の脊椎外科医から両側の分節動脈を結紮するなど脊髄虚血で麻痺になると非難されました。とくにAdamkiewicz動脈高位は危険だといわれました。しかし動物実験を行い、Adamkiewicz動脈高位を含めても3対までの分節動脈の結紮までは虚血性脊髄障害をきたす可能性が極めて低いことを見出しました。実際これまで300例以上の腫瘍脊椎骨全摘術を行いましたが、虚血性脊髄障害例はありません。本手術では脊柱は切り離され完全に不安定の状態になります。いかに脊髄麻痺を起こさず、強固な脊柱再建を行うか?生物学的な骨癒合を得るためにはどのような再建方法が良いのか?力学実験、有限要素法を用いた研究を積み重ねました。

 このように数多くの医局員の汗と努力により手術解剖学、生理学、生体力学などにおける様々な基礎的研究および臨床研究を20年以上積み重ねることによって2003年には腫瘍脊椎骨全摘術は高度先進医療に認められ、2012年には保険点数に収載されました。本研究に関して20人以上の博士論文、80以上の英語論文につながりました。東京大学、香港大学、アトランタ・エモリー大学をはじめ国内外の数多くの大学病院で手術に招待されました。現在は金沢医科大学で学生部長を4年し、医学部長が3年目です。医学教育に奔走していますが、脊椎手術にも全力投球です。

 まったく主体性がなく脊椎の研究テーマが与えられ、そして富田勝郎先生との出会いにより、脊椎腫瘍という生涯のテーマが与えられ、無我夢中で様々な角度からしつこく難問に取り組み続けてきたわけです。人生にはいくつかの出会い、チャンスがあります。医学生、若い先生方にはこの出会い、チャンスを大切にして臨床現場でのクリニカルクエスチョンを解決する研究に取り組んでいただければ幸いです。


【私の履歴書】
1983年3月 金沢大学医学部卒業
1983年4月 整形外科入局
1988年10月 医学博士学位授与(脊髄誘発電位に関する研究)
1989年4月 金沢大学助手
1990年5月 アメリカ合衆国ミネソタ大学整形外科留学
1991年6月 金沢大学助手
1996年2月 金沢大学講師
2003年4月 金沢大学助教授
2006年7月  金沢大学病院臨床教授 
2010年4月  金沢医科大学整形外科学特任教授
2013年9月  金沢医科大学学生部長(2017年8月まで)
2016年4月  金沢医科大学整形外科学教授 講座主任 
2017年4月  金沢医科大学病院副院長(2017年8月まで)
2017年9月  金沢医科大学医学部長