大学の教授が研究医として歩みだした頃のことを回顧します。
*第6回*   (H24.4.26 UP)  前回までの掲載はこちらから
研究医養成情報コーナートップページへ戻る 
今回は東京医科歯科大学医学部長 湯浅 保仁 先生です。
  『研究人生に悔いなし』

      
                東京医科歯科大学医学部長(分子腫瘍医学分野 教授) 湯浅 保仁 
        

1983年 NCI(National Cancer Institute)にて

 私は医学科の学生時代からがんの研究に興味を持ち、微生物学教室に押しかけて、夜や休みの日に研究をさせていただきました。すごい結果は出せませんでしたが、わくわくしながら研究したのを思い出します。その頃は先生方の善意に頼って、研究をさせていただきました。一方、現在の学生にとっての研究体験環境は隔世の感がありますので、ご紹介いたします。東京医科歯科大学医学科では、4年生の時にプロジェクトセメスター期間が5か月間あります。この間希望の研究室(学内、国内、国外)で1日中研究ができます。国外の4か所の大学・研究所とは交流協定を結んでいますので、自分で交渉するなどの手間はかかりません。また、国外に出る学生のほとんどには大学から奨学金が支給されます。うらやましい限りです。さらに最近は、研究者養成コースや研究実践プログラムが設定され、希望すればどの研究室ででも学生の時から研究を体験できます。今の学生は恵まれていますね。
 学生の時は、臨床と研究を両立できたら一番いいかなとも考えましたが、中途半端になると考え、基礎研究だけの道を選びました。その頃は、2年間の臨床研修制度はありませんでしたので、卒後すぐ大学院に入り、本格的にがんの基礎研究を始めました。大学院終了後すぐに助手になり、ほどなくしてアメリカに留学しました。場所は首都ワシントンの郊外にあるNIH(国立衛生研究所)です。NIHはアメリカの医学研究の元締め的なところで、がんだけでなく、心臓、神経、感染などを専門とした研究所が30近くあり、広大な敷地に大きなビルが50近くあります。外国人研究者も多数います。構内は緑が多くリスもいますし、少し郊外の方に行けば野生の蛍を見ることもできるうらやましい環境でした。私がいたのはNCI(国立癌研究所)で、英語に苦労しながら毎日がんばりました。ポスドクとして、研究費の心配をせずに研究に専念できて幸せな3年間でした。幸い「Nature」にArticleとして論文を掲載することもでき、私の原点となっています。今は昔に比べれば、海外にも行きやすくなっていますし、ぜひ若い先生方には海外に留学することをお薦めします。海外と研究のレベルや設備で日本はそう違わなくなったかもしれませんが、英語に慣れたり、日本との違いを経験することは、視野を広げるのに役立ちますし、必ず人間的に成長できます。

 私は3年前から日本学術振興会のご支援による日中韓フォーサイトプログラムの一つを主宰しています。毎年3か国で会議を行っていますが、最近の中国・韓国の研究レベルの上昇には目を見張ります。うかうかしていると日本の研究も追い抜かれてしまいます。ぜひ若い先生方には研究をどんどんやっていただき、日本発の優れた研究を多数発信していただきたいと思います。
 研究を遂行する過程にはいくつかあります。まず、仮説を立て、実験計画を考える。この時は世界中の研究者が発表した先行研究を論文として読み、いろいろと参考にします。名案が浮かんだり、実験結果を想像するとわくわくしてきます。次に、実際に実験を行い、結果が出ます。予想どおり、または予想どおりでなくても、重要な結果が出た時はたいへん興奮します。最後に結果がまとまると論文を書いて、学術雑誌に投稿します。私もアメリカ留学中に「Nature」にアクセプトされた時は、みんなに自慢したかったです。ということで、研究をすると3度楽しめることになります。もちろんいつもうまくいくわけではなく、苦しい時もあります。しかし、研究の楽しみは非常に大きいですので、ぜひ多くの若い先生が基礎研究に進み、研究の楽しさを味わい、医学の発展に貢献されることを期待しています。

【私の履歴書】 

昭和48年3月 東京医科歯科大学医学部医学科 卒業
昭和52年3月 東京大学大学院医学系研究科博士課程 修了 
昭和52年4月  東京大学医科学研究所ウイルス感染研究部 助手 
昭和55年9月  米国NIHに留学
昭和58年8月 東京大学医科学研究所ウイルス感染研究部 助手に復職
昭和60年7月 群馬大学医学部衛生学 助教授
昭和63年7月 東京医科歯科大学医学部衛生学 教授
平成12年4月 東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科分子腫瘍医学 教授
平成23年4月 東京医科歯科大学医学部長       現在に至る