大学の教授が研究医として歩みだした頃のことを回顧します。
*第65回*   (2021.8.25 UP)  前回までの掲載はこちらから
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今回は久留米大学大学院医学研究科長 溝口 充志 先生です。
 「失敗を恐れず、言い訳はせず、自分のできるレベルで全力投球
                                  
                          久留米大学大学院医学研究科長  溝口 充志

        
 
  1995年 Dr. Colvin、Chief of Department of Pathology MGHのホームパーティー
(右端が筆者の直属の上司Dr. Bhan、右から2番目が筆者、右から4番目がDr. Colvin)
 
   

 私は呼吸器内科に入局し研修中に「なぜ糊は引っ付くと聞かれて、糊だからと答える医者にはなるな」と常に言われていました。つまり、ガイドラインに書いてあるから薬を処方するのではなく、なぜこの薬が効くのかを理解して投与しなさいという事です。この言葉が私の研究に対する興味を抱かせるきっかけでした。その後、解剖の熟知なしでは胸写は読めないとの理由で、神代正道先生が主宰される病理学の大学院へ進学しました。しかし、病理学教室は肝細胞がん研究が主体であったため、現久留米大学医学部長であられる矢野博久先生にパイペットの使い方を教わりながら肝細胞癌をテーマにした研究が始まりました。研究のイロハから当時は珍しかった遺伝子多型解析などの技術を厳しくご指導頂き3年が経った頃、「肝細胞癌発症機序の解明のため免疫を学んで来なさい」との理由で、英語も話せない私に突然米国ハーバード大学マサチューセッツ総合病院(MGH)のAtul Bhan 先生の研究室への留学の機会を頂きました。しかし、私が留学する直前にBhan 先生の研究課題が腸管免疫に変更されており、「腸管免疫」が私の生涯の研究課題となってしまいました。恩師であられる神代教授が退任記念誌に「大河の流れとともに」と書かれていますが、私の研究課題も河の流れに導かれたのかもしれません。
 英語が話せないため1年間の留学と思っていましたが、あっと言う間に時が経ち22年間もMGHで研究生活を続けてしまいました。今、思えば「英語が話せない」ゆえに得られた物も多かったと感じています。私は日本語では口達者な方のため、どうしても「言い訳」が先に出ていました。しかし、英語では言い訳ができるはずもなく、「Thanks」と「Sorry」の研究生活だったと思います。自らが立てた仮説が実験的に証明できなければ「sorry(私の仮説は間違っていました、ごめんなさい)」、そして英語が下手なため絵を書きながら次に行うalternative approachを説明する。また、良い助言を頂いたら「Thank you」であったような気がします。研究は99%が失敗であり、私の所属していた部署ではだれも失敗をとがめず、ただ「go next」と言って頂いていました。失敗し、次の仮説を立てて再度失敗するという研究スタイルが性に合っていたのかもしれません。また、失敗した仮説を塗りつぶしていくと、99回も失敗すれば塗りつぶされた隙間から、真実が白く浮き上がってくるような気がしています。失敗が答えを出してくれる事を信じ、数回や数十回の実験の失敗で落ち込まず逆に楽しむことが大切なのかもしれません。

 私の所属した研究室には、利根川進先生の研究室のメンバーをはじめ小安重夫先生といった錚々たるメンバーが出入りされていました。本当に有能な先生方が昼夜を問わず働かれている姿を目の当たりにして、基礎研究のすごさにカルチャーショックを受けたことを今でも鮮明に覚えています。私に研究はできるのかとの不安が募りましたが、母がよく言っていた「上を見ればきりがない」の言葉を思い出しながら、自分のレベルでできる研究を模索するようになりました。幸運にも炎症性腸疾患(IBD)の研究を介して、Daniel K Podolsky先生とRichard S. Blumberg先生にご指導を賜る機会を得ました。両先生は、基礎研究から得られた知見を患者さんに応用する基礎と臨床の橋渡し研究に注力されており、私も同様な道を歩み始めました。虫垂切除と潰瘍性大腸炎(UC)の発症に負の相関性が示唆される疫学結果が報告されれば、マウスUCモデルに虫垂リンパ濾胞切除を行い科学的な検証を試みたり(J Exp Med 1996年)、ESDをまねた手法でマウスの粘膜固有層に遺伝子導入したり(J Clin Invest 2008年)といった、臨床的手法を活用した実験を行ってきました。マウスの盲腸切除症例数は私が世界一であると自負しています。また、UCでは悪玉という概念が主流だったB細胞が逆に善玉である可能性や(J Exp Med 1997年、Immunity 2002年)、アレルギーに関与するはずのTh2細胞がUCの発症に寄与する可能性(Gastroenterology 1999年)など「へそ曲がりな研究」にも主眼をおいてきました。この様な結果を学会発表すると、「Are you crazy?」との質問を受けた事もあります。そういう時にPodolsky先生がおっしゃっていた「Patients will answer you」と言う言葉を思い出していました。つまり、研究は論文を書くためのものではなく患者さんに貢献するためのものである。よって「答えを出すのは研究者でなく患者さんである」との教えです。自身が悪玉と信じた分子を標的とした薬が将来用いられ、治療効果が得られれば正しかった、効果が無ければ間違っていたという事になります。今になって、その言葉の重みを痛感しています。なぜなら、Podolsky先生が1994年に報告され、当時は殆どの方が信じていなかったホーミング阻害療法は、現在では世界的に広く用いられているIBDの治療法です。本当にすごい方々と身近で接した経験をもとに、その方々の研究姿勢を将来の医学をしょって立つヒヨコ達に伝える、つまり橋渡しする事が私の仕事と考えています。

【私の履歴書】 
1989年 3月 久留米大学医学部卒業
1992年 7月 米国ハーバード大学医学部免疫病理へ留学
1993年 3月 久留米大学大学院医学研究科修了
1997年 4月 米国ハーバード大学医学部病理学講座 Instructor
1999年 9月 マサチューセッツ総合病院 炎症性腸疾患研究センター主任研究員
2003年10月 米国ハーバード大学医学部病理学講座 Assistant Professor
2011年 2月 米国ハーバード大学医学部病理学講座 Associate Professor
2014年 2月 久留米大学医学部 免疫学講座 主任教授
2021年 4月 久留米大学大学院 医学研究科長