これから研究医を目指す学生が自分を語ります。
*第13回*  (H24.11.30 UP) 前回までの掲載はこちらから
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今回は九州大学大学院医学系学府博士課程3年の宮原 敏さんです。
   「夏の決心」
               九州大学大学院医学系学府博士課程3年(MD-PhDコース) 宮原 敏

 私は平成18年に九州大学医学部医学科に入学し、学部4年修了後の平成22年よりMD-PhDコースを利用して九州大学大学院の細菌学分野に入り、基礎研究を行なっている。ここでは私がMD-PhDコースに進むことを決めた背景と、現在の研究生活について述べたい。
 私は入学時から基礎研究を志していた訳ではなかった。医学部を目指した時から、私の頭には臨床医のイメージしか無く、入学後基礎の講義を受けていた時も、基礎は臨床を学ぶための準備だろうという認識でしかなかった。そんな私がMD-PhDコースを知るきっかけとなったのは、大学4年の7月に開かれたMD-PhDコースの説明会であった。

 当日は、午前中に夏休み前最後のテストが行われ、明日からは夏休みという日であった。説明会は希望者のみの参加であったが、私は午後特に予定もなかったので、まあどんなものかだけでも聞いてみようかという軽い気持ちで参加した。話を聞いた感想は、このコースに進んだら面白いだろうな。でもこのコースに進むべきなのは本当に優秀な人であり、それは私ではないなというものであった。面白そうだと思った理由は、もともと基礎の実習で手を動かすことが好きだったからであった。毎日朝から晩まで実験できるのは、毎日講義室で話を聞くだけよりもずっと魅力的に思えたのだった。しかし、低学年で基礎の講義を受けた時に、非常に難しい学問であると感じていたし、研究者として一人前になるためには、実験の計画を立てたり、結果から考察したりできる優れた頭脳が必要であるというイメージから、自分は向かないだろうと思っていた。例を挙げるならば、私は基礎の科目の実習では、実際に手を動かして作業するときは興味をもって率先して取り組めるのだけれども、実習後のレポートとなるとあまり意欲がわかず、いつも締め切りギリギリに教科書をほぼ丸写しして出すというタイプの人間であった。

 7月の説明会の時点では、私は実験が好きで興味はあったけれども、医学部の中でも特に優秀な人が取り組むべきだというイメージがあったために敬遠し、このまま卒業して臨床医になろうと考えていた。しかし、その後2ヶ月間続いた夏休みの間に私の考えは大きく変わってしまった。

 私の考えを変えるきっかけとなったのは夏休みに行ったモンゴル旅行であった。8月の後半に私は医学部の後輩数人と1週間ほど、モンゴルの首都ウランバートルに滞在した。その際、モンゴルの国立大学であるモンゴル健康科学大学の医学部を訪れ、同世代の医学生と話をする機会を得た。出会ったモンゴルの学生はみな非常に高いモチベーションを持っており、私は大いに刺激を受けた。彼らは大学のカリキュラムに満足せず、英語、ロシア語のテキストを入手して勉強会をし、最新の知識を得ようと努めていた。また運動部とは別に、学生が分野に分かれて医学研究を行っており、ちょうど滞在中に目にした発表会では大勢の学生が参加し、発表していた。さらに、医学部在籍中に外国へ留学する学生も珍しくないという話も耳にした。

 私は滞在中、日本のある医学部の公衆衛生学教室に留学経験のある日本語堪能な医学生と知り合うことができた。私は彼になぜモンゴルの医学生はここまで熱心に勉強するのかと聞いてみた。すると彼はモンゴルの医療が外国に比べて劣っているからだと言った。モンゴルは1990年代の民主化以降の経済的混乱によって、医療および教育の水準は未だ低いままである。そういった状況の中でいかに早く発展させられるかどうかは、自分たち今の医学生にかかっていると、彼は力強く述べた。モンゴルの医学生は新しいことを学べば、それはそのままモンゴルの発展につながり、更には世界の医療の発展にもつながるはずだと信じている。だから、自分達が興味を持ったもの、必要だと思うものはなんでも積極的に学んでいるのだと彼は語った。私は熱っぽい彼の話に共感し興奮しながらも、一方で日本での自分の学生生活を恥じていた。

 帰国してしばらく、私は自分の生活をどう変えていくべきか悩んだ。このまま時が経ち、興奮が覚めて、また以前の生活に戻るのはもったいないと思い、何か行動しようと考えていた。4年の夏までの自分の勉学に対する姿勢を振り返ってみると、ただカリキュラムで与えられたものだけを漫然とこなしていたように思った。勉学以外の時間も大いにあったが、部活動やアルバイトに費やしていた。モンゴルで出会った医学生の話を思い出しながら、ある時私は、ひとまず講義以外の時間を使って自分にとって興味があるものを学んでみようと思い立った。自分は何を学びたいかと考えた時、浮かんできたのは基礎研究であった。7月の時点では、興味はありながらも自分には能力がないと諦めていたのだが、モンゴルで得た興奮に押されてひとまずやってみようという気になり、9月の中旬に細菌学教室の門を叩いた。

 はじめのうちはMD-PhDコースに進むかどうかは考えず、放課後や休日を使って研究を体験しようという気持ちであった。その場として細菌学教室を選んだ理由は、昔受けた講義・実習を振り返ってみて最も興味を抱いた分野が細菌学であったからだった。突然訪れた私を細菌学の吉田眞一教授には快く迎えて頂いた。その日から2ヶ月間ほど、ポスドクや大学院生の方に教えてもらいながら、私は簡単な実験をいくつか行った。その期間、手を動かす作業はどれも予想していた通り面白く、だんだん手技に慣れてできることが増えていくことと相まって、研究への興味は日に日に増していった。当初危惧していた研究の頭をつかう部分についても、教えてもらったり、ディスカッションしたりするにつれて、なんとかやれるかもしれないという感覚を得るようになった。次第にもっと研究に本腰を入れてやりたいという思いが強くなり、MD-PhDコースを検討するに至った。

 MD-PhDコースを検討するにあたり、最も迷ったことは研究を今行うべきか、学部を卒業してから行うべきかという点であった。この問題について私は身近にいた多くの人に相談を持ちかけ、意見を交わした。MD-PhDコースは過去に例がないため、判断は難しかったが、大方は挑戦することを応援するという意見であった。最終的には以下の2点の理由で、私はMD-PhDコースに進むことを決めた。一つは知力、体力が旺盛な若いうちに研究に没頭できるという点である。私は研究の才能はあまりないと思っているが、努力して経験を多く積めばだんだんできるようになるとは思っている。寝食の間も惜しんで努力するためには若いほうが有利であるし、基礎研究にはそれだけのことをする価値があると信じている。もう一つは、将来の選択肢の幅がより広がるという点である。医学部を卒業後ずっと基礎研究を行なってきた人の話や文章からは、そういった進路からもう一度臨床に戻ることは非常に難しいという印象を受けた。私はもともと臨床医を目指していたことから、基礎だけでなく臨床の経験も積んでみたいと考えている。MD-PhDコースであれば、PhD取得後に臨床をまとまった期間やることができるし、その後また何らかのかたちで基礎研究を行うこともできるかもしれない。またあるいはずっと臨床を行うこともできるし、逆に全く臨床をやらないという選択肢もあると考える。ある友人からは優柔不断なだけだと批判されたが、私は将来の選択肢に幅をもたせられることは魅力の一つだと思っている。

 これまで述べてきた経緯を経て、私はMD-PhDコースに進学し、基礎研究のみを行う生活が始まって2年半が過ぎた。振り返ってみると、最初の1年はそれまでの不勉強がたたり、基本的なことから勉強し、実験手技を覚え、研究の流れを理解することだけで精一杯であった。2年目からやっと自分のテーマが定まり、自分の研究が始まった。実際に研究生活を行なってみて感じたことは、思っていた以上に実験はうまく進まないことが多いということであった。プロトコル通りにやっているつもりでも思わぬところで失敗していたり、そもそもプロトコルなど無く、自分で細かい条件検討をしながら地道に進まなくてはいけなかったり等、最初は1ヶ月くらいで終わると思っていたことに半年かかったときは苦しい思いばかりであった。ただその分、何かうまくいったときの喜びは大きく、総じて言えば楽しんで研究を行えている。まだ論文も書けておらず成果らしい成果は上げていないが、熱心に指導してくださる先生方のためにも、今後より一層努力して研究に取り組んで行きたい。

 学位取得後の進路はまだ決めきれていないが、MD-PhDコースのねらいは臨床も研究も両方経験した人材を育てることだと思うので、MD取得後は少なくとも初期研修までは行い、臨床の経験を積みたい。漠然とした希望ではあるが、その後は基礎研究の職につき、臨床の経験を生かして細菌学の分野で大きな仕事を行えたらいいと考えている。