これから研究医を目指す学生が自分を語ります。
*第30回*  (H27.8.3 UP) 前回までの掲載はこちらから
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今回は琉球大学医学部6年 青木 剛志さんです。
 志学
                       琉球大学医学部医学科6年 青木 剛志
   
   

 琉球本島の最北に、屋我地という島がある。美しい琉球の海に囲まれ、樹木の生い茂るその島には、ある施設が人里から追いやられるように今も建っている。喧騒から離れ時が止まったようなこの施設に、古くは紀元前から続く人類とある抗酸菌の闘いを垣間見ることができる。
 外見を酷く損傷することで、癩病あるいはleprosy と恐れられたこの感染症の起源は、古くは紀元前1550年のエジプトのパピルス文書にまで遡る。聖書に「救癩」という言葉があるように、leprosy はいつもヒトとともにあり続けてきた。
 1873年にArmauor Hansen により患者の皮疹から発見されたこの抗酸菌は、Mycobacterium lapraeと名づけられた。人工培地上で培養さえできないこのあまりにも弱い抗酸菌に、ヒトは今もなお続く差別・偏見・隔離の歴史を紀元前から繰り返してきた。この菌の向こうに、人が、社会が、歴史が見える。


 ヒトは何も知らない。

 美しい琉球の海風とともに、偉大なる自然の摂理が身に突き刺さる。
 治療法が確立し、先進国では新たな患者は激減したものの、梅毒トレポネーマとともにこの抗酸菌はいまだ人工培養が確立されていない。
 この菌をいつかこの手で培養したい。

 タンパク質が病気を起こすという興味深い現象がある。
 地球上の生命の誕生を考えるとき、DNA をもつ最初の細胞が出現するよりも以前に、原始的な細胞ではRNA が遺伝情報の保管と化学反応の触媒をともに行っていたという。
 進化の過程では、ウイルスよりも細胞の方が先に現れたらしい。自己複製能をもたず、宿主細胞に増殖を依存するウイルスは生きているとは言えない。
 しかし、Stanley Prusiner が見出したprion というタンパク質は自己複製能をもつ。ヒツジにscrapie、ヒトにCreutzfeldt-Jacob 病など、いずれも致死的で進行性の脳神経傷害を来す疾患の病原体は核酸をもたない。
 アミノ酸の三次元構造であるタンパク質は、 RNA が原始細胞とともに出現する前に地球上に存在しただろう。 だとすれば、prion というタンパク質は、生命誕生以前に既に存在していたのかもしれない。

 生命とは何か。
 prion という今だ謎多きこの病原体は、医学・生物学に関わる最も根源的な問題を問いかける。

 医学部の病院実習の中で、流れてはならない涙をいくつか見てきた。
 20歳代男性に突然発症し3年の生命予後をも許さない膠芽腫、また10代女性の骨を蝕み生命中枢にまで転移する骨肉腫は、彼女が高校生になることさえ阻んだ。ステロイドパルス療法により生命予後が改善したとはいえ、SLE は罪のない若年女性に発症し、低補体血症により妊娠と出産という人生の希望を奪う。
 名を馳せる総合内科医、手練れの外科医、熟練の眼をもつ病理医たちが束になってもこれらの涙は止められない。
 法学を収めた者の究極の使命が、戦争により流れる血と涙を止めようとする試みにあるならば、医学を博する者は、これらの涙の流れることのない世界を希求するべきだと僕は信じる。ただ貧しい国に生まれたがために子供が餓えてはならないように、またただ紛争の絶えない地に生まれただけで罪なき人が死んではならないのと同様に、これらの涙は流れてはならない。

 僕はまだ実験や研究に携わったことはないが、医学系研究科・細菌学講座に机をいただいている。実習の合間や休日にこの机に居候しているが、先生方との会話から少しずつだが科学者としてのセンスを磨き、将来の夢に思いを馳せている。
 医学を博し、腫瘍や膠原病により若い人が流す涙を一滴でも多く留めるために、初期研修を終えた後、僕は東京大学医科学研究所で研究の道を歩み始める。

 47 歳で乳癌に没した母が僕の名に残した一字に誓い、医学研究の道をここに志す。

  penicillin.resistant.e.facium@gmail.com
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