これから研究医を目指す学生が自分を語ります。 | |||||
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岩手医科大学医学部4年 千田 喜子 |
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岩手医科大学では、3年次に1か月間の研究室配属があり、私は病理診断学講座を選びました。2年次の後期から始まった臨床科目の講義がきっかけで、疾患とは一体何なのかという根本を学びたいという思いからでした。また日ごろの病理学の講義も面白く、組織学での光学顕微鏡を使って組織を見ることも好きだったからです。 私はVater乳頭癌(乳頭部癌)について研究しました。消化管癌では免疫染色を用いて粘液形質の違いを利用した分類を行っており、各粘液形質が腫瘍発生や臨床病理学的特徴、予後などに関連することが報告されています。しかし、乳頭部癌ではいくつか粘液形質分類が提唱されているものの十分な研究はなされておらず、粘液形質分類と臨床病理学的特徴との関連性を明らかにすることにしました。研究室では、症例収集、代表切片選び、免疫染色とそれの評価、統計解析、学内での研究室配属の発表会に向けたポスター作製等、一連の流れを指導教官や検査技師の皆さんに指導、協力頂きながらも自分で行いました。初めての免疫染色では本当に染まっているのか不安でたまりませんでした。光学顕微鏡で染色されているのを確認し、安堵するとともに自分で染色できた喜びを感じ、思わずにやけてしまいました。PubMedや医中誌を用いた論文検索の方法も教わりました。論文を検索し読んで調べるという経験がなく、はじめは指導教官に選んで頂いたものを読むだけで精一杯でした。徐々に慣れ、発表準備の段階では自分で検索し読めるようになっていきました。 研究以外にも日常の診断やCPC、テレパソロジーなど、病理医の他の仕事を見ることができました。病理解剖では臓器を切る、写真を撮影するなどのお手伝いをさせて頂き、研究会では様々な症例報告や研究を聴講し、病理の中だけでは完結せず他科との関連の重要性を知りました。百聞は一見に如かずの通り、講義だけでは味わえない現場の雰囲気を感じ、日ごろの講義での内容が現場で活きてくることを痛感しました。 研究室配属後は、病理学会総会での学生ポスター発表に声をかけて頂きました。初の学会で、予想以上にたくさんの医師が参加しており、そこで各々の研究成果や症例を発表する光景に圧倒されました。全国で同じように取り組む医師、学生が多くいることを知り、同士がいることの心強さを感じました。 また上記以外にも多くを学び考える時間となりました。 一つ目は、常に他人との関わりがあるということです。病理診断学講座では一人1テーマで、一対一で指導教員からご指導頂けました。贅沢な時間を過ごせる一方、多忙な先生にいかに迷惑を掛けないようできるか、先生のタイミングを窺い自分の作業計画を組み立て、常に考えて行動しました。他の先生方や大学院生、技師、秘書など様々な立場の方にもご協力を頂き、多くの方に支えられていることをしみじみと感じました。 二つ目に、ある医師の「医師は科学者でもある」という言葉です。私は光学顕微鏡で癌のスライドガラスを何百枚も見ていくうちに、生命を奪う恐ろしいものと感じる一方、そこに自律して増殖している姿からまさに「悪性新生物」であり、自分の中から生まれた新たな体の一部であるという感覚になりました。癌はヒトがこの世界に生まれたときから抱えるものであろうし、ヒトという動物の自然淘汰に関わる一つになっているのではないかと思いました。私は、医師は疾患の治療や原因究明などが仕事であると考えていましたが、科学者としての視点も必要だと感じました。 最後に、「研究」と「臨床」は全く別なものではないということです。私の中にはこれまで、「研究」は「臨床」とは異なった特殊なものという固定観念がありました。研究は実臨床にすぐ反映されるようなものではなくても、蓄積されることで未来のいつの時点かで患者の役に立つ礎を築いていることを知りました。「研究」も「臨床」も、立場は違うようでも「患者のために」という大きな目的に向かって取り組む、それぞれの分野なのだと思いました。 研究室で学んだことは、その後の大学生活でも活きています。配属前に比べて、講義で紹介される様々な研究内容の説明が頭に入って理解しやすくなり、その研究者が言いたいことを想像するようになりました。気になった内容について論文で調べて抵抗なく読めるようになりました。医学の道を進もうと決めた時よりもより深く、研究精神を常に持ち続け、相手のために考えることを惜しまない医師を目指していいきたいと考えるようになりました。 菅井有教授をはじめ、担当して頂いた石田和之准教授、病理診断学講座の皆さまにこの場をお借りして感謝を申し上げます。 |