大学の教授が研究医として歩みだした頃のことを回顧します。
*第2回*   (H23.12.22 UP)  前回までの掲載はこちらから
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今回は北海道大学医学研究科長・医学部長 玉木 長良 先生(核医学教授) です。
  『私の履歴書』

      
      北海道大学医学研究科長・医学部長(病態情報学講座核医学分野教授) 玉木 長良
        

  Strauss先生が米国核医学会(SNM)の大会長をされた1998年に、George de Hevesy Nuclear Medicine Pioneer Awardを受賞。学会の開会式でStrauss先生から直接盾を頂いた時の写真。 

若い時の出会いは自らの進路を決定づけると言われます。私にとっても貴重な出会いがあり、それが自分の人生を大きく左右しました。
 私は高校生の時に魅力ある先生に教わり、視野を広めてみようと思い立ち、AFS(American Field Service)を通して一年間米国の高等学校に通い、卒業しました。その期間に前向きな姿勢をもつ多くの学生・友人や教員に巡り合いました。帰国後すぐに灰色の受験時代を迎えて、カルチャーショックは大きかったのですが、幸いスムーズに京都大学医学部に入学することができました。
 学生時代は医学部ヨット部に入部し、勉学よりは琵琶湖でヨット競技に夢中になっていました。クラブでは部員仲間と日夜活動を共にして、貴重な人間関係を作ることもできました。ヨットでは体力はもちろんですが、風を読み、風を迎えてより早くマークに向かって最適なコースを選んで進んでいきます。風を呼び込む技術は相当鍛錬されました。人生でも自分にふさわしいコースを選んだのでしょうか。
 卒業後は一旦大学を飛び出し、神戸中央市民病院で内科研修をしました。そこでは多くの優れた先生から教えを受けましたが、中でもお二人の指導者との出会いは、その後の自分の進路を左右しました。一人は同病院循環器内科部長の吉川純一先生です。もう一人は米国ハーバード大学で30歳代半ばにして教授に就任され、現在の心臓核医学の基礎を作られたWilliam Strauss先生です。何となく臨床内科医を目指して研修をしていた頃でしたが、お二人との出会いによって自分の進路を、核医学と循環器学を融合させる心臓核医学へと舵取りをしました。
 吉川先生からは短い期間でしたが、循環器病学の大切さ、おもしろさを徹底的に叩き込まれました。吉川先生は、診療を重視されたことはもちろんですが、研究面でも常に臨床に根ざした臨床価値の高い取り組みをしておられました。
 Strauss先生とは大阪での講演でお目にかかり、その講演内容にすっかり魅了されました。心筋虚血が機能画像で見えるという内容は、今でも鮮明に記憶しています。私は大学院で同様のテーマで学位を取得し、その後すぐに先生を慕って米国ハーバード大学に留学しました。そこで優れた研究者の中で最先端の核医学研究に触れることができました。留学期間中は、時折恥をかきつつも欧米人と対等に常に発言し、前向きにさまざまなことを体得するように心がけました。特に研究では、今何が求められるか、どのようなインパクトがあるのか、得られた現象をどのようにとらえていくのか、そしてその結果からどのように次の研究に発展させていくのか、など研究の基本を徹底的に追及していきました。すでに留学から25年を経過していますが、その当時学んだ不安定動脈硬化病変(プラーク)の機能画像化、代謝イメージングと心筋生存能(バイアビリティ)判定、無症候性虚血の診断、などは現在の研究でも生きています。幸い帰国後もこれらをテーマにした国際的な研究成果をあげることができたことに満足しています。何より研究に対して、常に興味をいだき、出てきたデータに疑問をなげかけていく姿勢を学べたことは、自分にとって最も大きな財産であったと思っています。
 もうひとつ留学の体験が活かされた点は、研究面で数多くの友人を世界中に持つことができたことです。お互いの率直な意見交換の中で、彼らの主張の妥当性や性格を把握し、魅力ある友人を選択しつつ、それぞれに併せたお付き合いに心がけています。北海道大学ではこの10年間で3回の国際シンポジウムを開催させていただきました。その際、海外の多くの友人が喜んで私の企画したシンポジウムに駆けつけてくれ、参加者を魅了する講演や討論を展開してくれました。
 このように私は優れた教育の恩恵を受ける機会に恵まれました。今は感謝の気持ちを込めて、自分が体験し、蓄積してきたことを世の中に還元しようと思っています。医学部長、医学研究科長に就任後は、特に若手の教育に尽力しています。分野の教室員はもちろん、北大はおろか全国の多くの学生、研究者、若手職員には大きな夢をいだいてほしいと考えています。特に広い視野に立って自分の人生を熟慮してほしいものです。現在自分の置かれている立場は何か、どのように社会に貢献できるか、その上で人生設計をたてて、最適な人生コースを選んでいただきたいと願っています。
 多くの方々は医療の現場に立たれるでしょう。そして難病や不治の病の患者さんにあうと、医療の無力を経験することもあるでしょう。でもへこたれることなく、よりよい医療を提供してほしいものです。他方、多くの方々の中には難病を克服するために研究や医療行政の道に進まれる方もおられるでしょう。こちらも大きな社会貢献になります。
 「一期一会」は私の座右の銘のひとつです。私にとって、優れた研究者、教育者と巡り合えたのは、至上の幸運でした。私達は、今後若手の医師や研究者などの後輩諸君にとって、糧となるような助言・指導のできるような指導者でありたいと心がけています。これからを担う若手の先生方にも、学生時代や医師としてあるいは研究者として、人との出会いを大切にし、出会いから学んだことを大切にして、人生の指針を決めていただきたいと願っています。

筆者略歴

1978年  京都大学医学部卒業 
1984年 京都大学大学院博士課程修了 
1984年  米国ハーバード大学医学部 研究員 
1986年  京都大学医学部核医学科 助手
1991年  同 講師 
1995年  北海道大学医学部核医学講座 教授 
2003年  北海道大学アイソトープ総合センター長 
2007年  北海道大学病院 副病院長
2011年  北海道大学大学院医学研究科長・医学部長