大学の教授が研究医として歩みだした頃のことを回顧します。 | |||||
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「留学経験がマクロファージ研究につながるまで」 熊本大学大学院生命科学研究部長・大学院医学教育部長・医学部長 竹屋 元裕 (細胞病理学分野・教授) |
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帰国を前にして、ラボで開かれたサプライズのフェアウェル・パーティ。実験室に突然、家内が現れてびっくりしていると、フィッシュマン所長夫妻(後方の眼鏡のお二人)も来てくれました。(1984年4月) | |||
基礎医学研究への興味 あらためて思い返すと、私が医学研究に興味を持ったのは、祖父の影響が大きかったようです。私の祖父は、熊本医科大学の解剖学教授を務め、私が物心ついた頃には既に退官していましたが、自宅の物置にラットを飼育し、吉田腹水肝癌に土壌細菌のエキスを投与して、抗がん効果の検索を行っていました。この頃、中学生の私は、よく祖父の家に呼ばれて腹水肝癌の継代の手伝いをさせられました。退職教授の気ままな趣味的研究でしたが、孫(私)に医学研究への興味を持たせることには役だった様です。 祖父の影響は大きく、熊本大学医学部医学科に入学してからも将来は基礎医学に進むと公言して憚りませんでした。1977年の卒業と同時に病理学第二講座(武内忠男教授)の大学院に入学しました。基礎医学といっても、病気と関連のある分野をやりたいと思い、病理学を選びました。武内教授は水俣病研究で有名でしたが、他方、日本組織細胞化学会理事長を務めるなど、酵素組織化学の草分けでもありました。私の学位論文のテーマは癌胎児性蛋白としての胎盤型アルカリホスファターゼ(ALP)の酵素組織化学的解析でした。大学院修了後、このテーマを更に発展させることになり、米国留学の機会を得ました。留学先は武内教授の知己であるLa Jolla癌研究所のWilliam H. Fishman所長のラボでした。1982年の渡米時には武内教授の後任として高橋潔教授が福島県立医科大学から赴任されていましたが、快く留学に送り出して戴きました。 留学時代 La Jolla癌研究所(現Sanford-Burnham医学研究所)は、Fishman先生によってカリフォルニア州サンディエゴ郊外のラホイヤに設立された私立研究所で、設立後わずか6年の小さな研究所でした。シニア研究者も20人程度のこじんまりした陣容でしたが、全米(一部は欧州)から集まってきた進取の気鋭を持った研究者達の熱気に溢れていました。当時の米国では、モノクローナル抗体の作成技術が一般のラボにもようやく浸透し始めていた時期で、私はFishmanラボで作成された胎盤型ALPアイソザイムに特異的な抗体を用いて、rotary shadowingやnegative stainingを用いてアイソザイム分子とモノクローナル抗体の反応性を電顕的に観察する仕事を行いました。米国流の合理的な実験室運営には大いに学ぶところが多く、例えば器具洗浄や培養用器材の滅菌処理、写真フィルムの現像・焼き付けなどの基本サービスは、一括管理でそれぞれの担当者がやってくれました。研究所という性格や外国人研究者という立場もあったでしょうが、恵まれた環境下で研究だけに100%没頭できました。 La Jolla(ラホイヤ)はサンディエゴ中心部から車で20分程度の海沿いのリゾート地で、温暖な気候に恵まれ、治安も良く生活するには最適の場所でした。研究所の周辺にはカリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)をはじめ、Salk研究所、Scripps研究所などの研究機関が集中し、学術都市を形成していました。文献検索にはUCSDの図書館が利用でき、これらの研究所で開催される世界的な研究者のセミナーに出かけることも出来ました。また、これらの研究施設には多くの日本人研究者が留学しており、外国人を対象にした英会話スクールやテニスのサークル、UCSDで開かれた国際交流週間などを通して知り合うことが出来ました。多くは同年代で、近郊の観光地にドライブにでかけたり、ラホイヤ海岸でバーベキューパーティーを開いたりして、家探しや車購入、果ては日本食材のスーパーなどの情報交換や留学中の悩みを相談し合ったりしました。留学中に助け合った仲間達とは、日本に戻って30年が経過した今でも交友が続いています。 マクロファージ研究の始まり 2年間の留学を終えて日本に戻ると、高橋潔教授の下でマクロファージの研究体制が着々と整備されていました。高橋先生のライフワークは「マクロファージの発生・分化の解析」で、福島からは内藤眞先生(後に新潟大学医学部教授)が赴任され、大学院生達の指導に当たられていました。私に与えられたテーマは、留学で得た技術を利用して、マクロファージに特異的なモノクローナル抗体を作成することでした。手始めにラットマクロファージに対する特異抗体の作成から開始し、その後、ヒトマクロファージに対する特異抗体の作製に取り組みました。当時は、免疫組織化学的にマクロファージに特異的に反応する抗体は抗CD68しかありませんでしたが、新たにCD163(ヘモグロビン・スカベンジャー受容体)やCD204(クラスAスカベンジャー受容体)に対する特異抗体を作製することが出来ました。さらに、これらの分子はオルタナティブ活性化を受けたM2タイプのマクロファージで発現が増強することがわかりました。CD163とCD204に対する抗体はM2マクロファージの同定に有用で、マクロファージの活性化と病態との解析に非常に有効なツールとなっています。 医学生や若い研究者の皆さんへ 留学時代の研究内容はマクロファージとは全く関係ないものでしたが、留学で得た技術が、現在の私のライフワークとなったマクロファージ研究に大きく役立っています。留学で得られる成果には様々なものが挙げられますが、1)優れた研究環境で研究に専念でき、優れた業績を挙げることができる、2)海外はもとより日本人の研究者達とも知りあう事ができる、3)海外の文化に触れ、語学修得を含め国際感覚を身につけることが出来る、などでしょうか。 本学では、昨年度から基礎研究医養成のための「柴三郎プログラム」を発足させました。プログラムの名称は熊本出身の世界的な細菌学者である北里柴三郎博士に因んだものですが、柴三郎博士もドイツ留学を契機として世界的な研究を展開されました。医学生や若い医学研究者の皆さんには是非、海外留学を果たして、優れた成果を挙げるとともに幅広い国際感覚を身につけ、帰国後の研究展開に役立てて欲しいと思います。 【私の履歴書】 昭和52年 3月 熊本大学医学部医学科卒業 昭和56年 3月 熊本大学大学院医学研究科博士課程修了 昭和56年 4月 熊本大学医学部附属病院病理部 医員 昭和56年10月 熊本大学医学部病理学第二講座 助手 昭和59年 4月 熊本大学医学部病理学第二講座 助手(復職) 昭和63年10月 同 講師 平成15年 4月 熊本大学大学院医学薬学研究部・細胞病理学分野 教授(配置換) 平成18年 4月 熊本大学教育研究評議員(併任) 平成22年 1月 熊本大学大学院生命科学研究部・細胞病理学分野 教授(配置換) 平成23年 4月 同研究部長・医学教育部長・医学部長(併任) |