大学の教授が研究医として歩みだした頃のことを回顧します。
*第26回*   (H26.12.15 UP)  前回までの掲載はこちらから
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今回は信州大学医学部長の 池田 修一 先生です。
 研究医への道
   「難病アミロイドーシスの研究25年を振り返って」

                信州大学医学部長 池田 修一(脳神経内科、リウマチ・膠原病内科学教授)
        
 

1993年3月、FAP患者の肝移植の実際をスウェーデンのカロリンスカ研究所附属病院へ見学に行った際の
写真である。筆者(一番左)の右側に居るのが世界で最初に本移殖手術を成功させたEriczon博士である。

 

 私が医学部を卒業して当時第三内科と呼ばれていた医局へ入った1978年頃は医師の研修制度、大学院の教育体制のいずれもが全く確立されておりませんでした。入局したら先輩のやることを見て覚えろ、“教授の指示が絶対的である”の時代でありました。そんな中で私は神経難病で苦しむ一患者と出会い、その病気の研究をライフワークとすることになりました。
 家族性アミロイドポリニューロパチー (FAP) は、末梢神経障害と自律神経障害を主徴とする遺伝性全身性アミロイドーシスです。本疾患の最初の報告は1952年にポルトガルのC. Andrade博士がPovoa de Varzimという一漁村において、古くから“Mal dos pèsinhos(足の病気)”と呼ばれている地域病がFAPであることを英国の神経学誌に掲載しました。その後、1968年に九州大学の荒木淑郎先生(現熊本大学名誉教授)らが熊本県荒尾市にFAPの2家系が存在することを見出し、米国の神経誌へ報告しました。次いで1970年代の初頭にはR. Andersson博士によりスウェーデン北部の街UmeåにFAP患者さんの集積地が存在しそうであることが報告されました。同じ頃、当時東京女子医科大学内科にいらした鬼頭昭三先生(広島大学元教授)らのグループは、長野県上水内郡小川村を中心とする地域にFAP患者さんが集団発生していることを見出し、疫学調査と臨床病理像の検討を行っていました。

 信州大学医学部においても1970年以前にFAPらしい患者さんの入院歴が相当数ありますが、脊髄空洞症、脊髄性筋萎縮症等の診断名が付けられています。1973年に本学に第三内科が設立されて、東京大学から神経内科を専門とする塚越廣教授が就任されて以来、長野県において本格的な神経内科診療が開始されました。塚越廣教授の専門は末梢神経疾患であり、県内に大集積地があるFAPは当然注目されました。そして教室内に研究グループらしきものが形成されましたが、鬼頭昭三先生(当時広島大学第三内科教授)らとの競合が激しく、実質的には研究らしきものは進んでいませんでした。1978年春に新人医師として第三内科へ入局した私は、四六時中激しい嘔吐を繰り返し、また臀部から両膝近くまで広範な褥創を持つ小川村出身の40歳代の男女患者さんに接して、初めてFAPという疾患を知りました。また同年秋に第三内科へ入退院を繰り返していた47歳のFAP患者さんを受け持つことになりました。本患者さんは四肢の激しい疼痛発作と麻痺、腸閉塞を思わせる消化管運動障害に加えて、心伝導障害に対して人工ペースメーカーが挿入されておりました。しかし当時のペースメーカーがアミロイド心に対して上手く作動せず、頻回に心停止に近い徐脈発作を起こすのですが、患者さんは死の恐怖に対して悲痛な叫び声を上げておりました。このため病棟医は皆、本患者さんを受け持つことを嫌がり、何も知らない私が担当となりました。同年11月の夜、本患者さんが私に「自分が亡くなったら解剖して病気の解明に役立たせるように」とおっしゃいました。この患者さんが信州大学第三内科で初めて剖検所見を得られたFAP患者さんでした。私が手始めに行った臨床研究は以下の内容です。

 FAPの確定診断を行うに際して、生検組織におけるアミロイド沈着の証明が必要ですが、従来は腓腹神経生検、直腸生検が主に行われておりました。しかし手技が煩雑で、かつ患者さんの負担も大きいため、内視鏡下の胃粘膜生検を行うことを開始しました。また同時に激しい自律神経障害の成因を知る目的で、生検組織ならびに剖検組織を用いて消化管自律神経組織の検索を行いました。その結果、胃粘膜生検は直腸生検よりアミロイド沈着の検出力が高いこと、FAP疾患の消化管粘膜では、発病早期からカテコーラミン含有自律神経の変性があり、剖検例では消化管壁内のenteric nerve cellの変性が目立つことを明らかにしました。さらに簡便な診断法として腹壁脂肪の吸引生検法を確立して、外来で患者さんの腹壁から脂肪滴を採取して、それを塗抹標本とし、コンゴーレッド染色することにより短時間でアミロイドーシスの診断が可能となりました 。また過去に信州大学およびその関連病院等へ入院したFAP患者さんの臨床データー69例分をまとめて、英国の神経学誌Brainへ報告しました。本記載が長野県のFAPに関する最初の国際一流誌への報告でした。この間、1984年に九州大学と熊本大学からFAPの遺伝子診断法が発表されて、医学会に衝撃が走りましたが、当時の信州大学にはこうした領域の研究者はおりませんでした。このためアミロイド研究の基本を学ぶため、私は1986~1989年にかけて米国カリフォルニア大学サンディエゴ校へ留学し、George G. Glenner博士のもとでアルツハイマー病を中心とするアミロイドーシスに関する研究に従事しました。

 以後、アミロイドーシスの専門医・研究者としてアルツハイマー病の脳アミロイドからFAPの根治療法としての肝移植に至るまで、アミロイドーシス全般を広く手掛けて来ました。そして平成24年12月には日本アミロイドーシス研究会を設立いたしました。長年、不治の病とみなされてきたアミロイドーシスも今や治療可能な疾患となりました。私の研究者生活もぼつぼつ終焉を迎えようとしておりますが、この人生に悔いは無いです。



【筆者略歴】

1978年3月  信州大学医学部卒業
1978年4月 信州大学医学部第三内科入局 
1982年4月  信州大学医学部助手(内科学第三) 
1986年6月 医学博士「家族性アミロイドポリニュ-ロパチ-の消化管自律神経病変の研究」 
 〃  7月  カリフォルニア大学サンデイエゴ校医学部病理学教室
 (National Alzheimer's Disease Brain Bank)留学(2年3ヶ月間)
1992年1月  信州大学医学部講師(内科学第三) 
 〃 6月 文部省短期在外研究員として英国ベルファスト王立大学理学部生化学部門(3ヶ月間) 
1998年4月  信州大学医学部教授(内科学第三教室) 
2014年6月  信州大学医学部長