大学の教授が研究医として歩みだした頃のことを回顧します。
*第40回*   (H29.6.5 UP)  前回までの掲載はこちらから
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今回は福井大学医学部長 内木 宏延 先生です。
 「学生時代の動機づけに導かれた私の研究生活」
                                  
                                福井大学医学部長 内木 宏延(分子病理学教授)

        
  学部4回生の時に友人の下宿先で  

 私は1979年4月に京都大学医学部へ入学した。当時の医学教育は今に比べ遥かにゆったりとしており、教養課程の2年間は思う存分好きなことをして過ごした。写真は学部4回生の時、友人Tの下宿で撮影したものである。20代ならではの幸福感と何物をも恐れぬ気概が感じられ、懐かしい写真である。当時はいっぱしの文学青年、音楽青年を気取り、フランス象徴派の詩人ポールヴァレリーに憧れ、彼の様に生きてみたいと真剣に考えていた。彼の「テスト氏航海日誌抄」に以下の有名な文章がある。「すべてを純粋な材料で再建しようとする望み、ただ限定された要素だけで、明確な関係だけで、作図をおわった接点と輪郭とだけで、克服した形だけで、漠としたものは全然なしに。」(小林秀雄訳)この思想は、私のサイエンスに対する指向性や、やがて編み出すことになる実験系の特徴を良く表していると思う。
 学部1回生の時、私のサイエンスに決定的影響を及ぼすことになる出会いがあった。当時早石修教授の研究室で助手を務めておられた清水孝雄先生と医化学実習を通して知り合い、たちまち先生のことが好きになり、研究室に出入りさせて頂くことになった。清水先生は当時34歳、半年後のカロリンスカ研究所留学を控え、毎日遅くまで実験と論文執筆に励んでおられた。(先生はスウェーデン留学後、母校東京大学に戻られ、生化学教室教授、医学部長を歴任された。)当時早石研はプロスタグランジン代謝に関する研究で世界をリードし、数々の合成酵素や分解酵素の単離精製に成功していた。私が行わせて頂いた実験は、ミニブタ腎臓上清分画から、酵素活性を指標としてプロスタグランジンD
2分解酵素を部分精製し、酵素学的に解析するというものであった。この時経験させて頂いた多様な蛋白質精製技術、そして何より酵素活性の反応速度論的解析手法は、私のライフワークの礎となった。
 学部2回生の時、医学に対する新たな動機づけの機会を得た。公衆衛生学の実習で、気の合う同級生とグループを作り、「呆け老人医療と福祉の実態と展望」というテーマで様々な施設を見学させて頂いたり、当時京都に事務局のあった「呆け老人を支える家族の会」の方々から、御自身の切実な体験談を伺ったりした。平日昼間の外出はとても楽しく、学生ゆえ研究と言えるほど完成度の高い報告とはならなかったが、私自身呆け老人医療と福祉の実態にとても驚いた。当時の私は、「卒業後は神経内科に行き、医者のイロハを身に付けた後は、医療と福祉のオーバーラップする領域で、社会派として呆け老人医療に取り組もう」と真剣に考えていた。
 かくして神経内科に行こうと決めかけていた学部4回生の晩秋、私は、病理学の一生の師である竹田俊男先生に出会った。当時竹田先生は老化促進モデルマウス (SAM) の樹立に成功され、結核胸部疾患研究所病理学教室の教授として、学習記憶障害や骨粗鬆症など老化関連病態の解明に向け、教室を挙げて研究に没頭しておられた。ポリクリのひとコマで先生の熱い話を聞くや、「この世の中には、老化現象をサイエンスの対象と捉えて研究している人がいるのか」と単純に感動し、上に述べた酵素学と公衆衛生学が私の中で一つになり、躊躇すること無く竹田研の門を叩き、病理学の道を歩むことになった。
 病理組織診断や病理解剖の手ほどきを受ける傍ら、私に与えられたテーマはマウス老化アミロイドーシスの病態解明であった。SAM-P系統には加齢に伴い全身性アミロイドーシスが発症する。私が研究室に入った当時、その前駆蛋白質がアポA-
IIであることを兄弟子の樋口京一助手(現信州大学医学部教授)らが明らかにしていた。アミロイドーシスの本態はアミロイド線維の全身組織への沈着である。従って当時私は、前駆蛋白質からのアミロイド線維形成機構を試験管内で詳細に解析することが病態解明に不可欠であると考えた。清水先生の下で私は、酵素反応の速度論的解析を可能にするには、1. 純粋な基質を得ること、2. 酵素反応産物を特異的に検出できる系を開発することの二つが不可欠であることを学んでいた。これをアミロイド研究に当てはめてみると、1は純粋な前駆蛋白質を得ることに、2はアミロイド線維を特異的に検出できる系を開発することに相当する。前駆蛋白質のアポA-IIおよびこれが重合して出来たアミロイド線維を精製する技術は既に確立されていたので、私は2に集中し、蛍光色素チオフラビンTを用いたアミロイド線維の分光蛍光定量法を開発する事ができた。この方法を駆使し、試験管内でアミロイド線維が伸長して行く速度を、世界で初めて測定する事ができた。その後チオフラビンT法とアミロイド線維形成の試験管内実験系は、様々なタイプのアミロイド線維に普遍的に応用できることが世界中の研究グループにより報告された。自分の開発した実験系がアミロイド研究の世界標準となったことに密かな喜びを感じながら、今も私は同じスタイルで研究している。

【私の履歴書】

1985年 京都大学医学部 卒業
1985年 京都大学結核胸部疾患研究所附属病院医員(研修医)
1990年 福井医科大学医学部病理学第二講座 助手
1991年 京都大学医学博士(論医博第1325号)
1998年 福井医科大学医学部病理学第二講座 教授
2003年 福井大学医学部医学科病因病態医学講座分子病理学領域 教授
2016年 福井大学医学部長 医学系研究科長