私は生化学の教授をしていますが、初めから基礎医学を志望したわけではありません。最初は内科医となり、内科研修後に呼吸器の研究室に所属して5年間在籍しました。その後に基礎医学の道に入ったのですが、その背景として学生時代に基礎医学に触れた体験が大きいと思います。私の研究者への道のりを振り返ってみたいと思います。
学生〜内科医時代
私は、1971年に東京大学に入学し1973年に医学部に進学しました。東京大学医学部には「フリークォーター」と呼ばれる制度があり、3ヶ月間(1年の1/4:クォーター)学生の希望によって自由に研究室に行ったり、救急病院で勉強したり、外国の病院で外国の医療の実態を知ったりということができるように学部がサポートしてくれます。私は、この制度を利用して栄養学教室にお世話になりました。名前は「栄養学」とついているものの内容は生化学で、ウニの卵を使って核酸やタンパク質の研究を行っていました。実験の詳細は忘れましたが、ウニの運ぶ潮の香りや有機溶媒の匂い、超遠心分離やピペッティングの操作を行ったことを覚えています。教室の先生方が大変親切で、セミナーや食事会に参加するのが楽しみでした。
1977年に卒業後、最初は内科医としての道を選びました。大学病院での研修後、呼吸器の研究室に入りました。臨床と共に、気道平滑筋の収縮や過敏性に関連して、雑種成犬を用いた生理学的な実験やモルモットの気道平滑筋を用いた薬理学的な実験、アドレナリン受容体のラジオレセプターアッセイなどを行っていました。この分野を選んだのは、気管支喘息、慢性気管支炎、肺気腫などの閉塞性肺疾患に苦しむ患者が多く、その病態の解明が待たれていたからです。炎症や気道収縮のメディエーターであるアラキドン酸代謝物のプロスタグランジンやロイコトリエンに興味を持っていました。しかし、内科での研究には、時間的にも研究手法においても限界を感じていました。
栄養学教室〜留学時代
1984年に、呼吸器の研究室の先輩である清水孝雄先生(現 東京大学副学長)が留学先のスウェーデンのカロリンスカ研究所医化学教室から帰国し、栄養学教室に助教授として赴任されたのに伴って、研究グループに加えていただきました。偶然ですが、学生時代にフリークォーターで顔見知りとなっていた先生方と再会し暖かく迎えて頂きました。3年間の栄養学教室時代には2つのことを学ぶことができたと思っています。1つは脂質の分析学で、脊山洋右教授に脂質の扱いと質量分析計等を用いた分析法を教えていただきました。もう1つは、清水先生のご専門の酵素学で、ロイコトリエンの生合成に関与する3つの酵素について、精製、酵素学的性質の解明を行いました。栄養学教室時代のいくつかの仕事を博士論文としてまとめました。
1987年から3年間、私もカロリンスカ研究所の医化学教室(サムエルソン教授)に留学しました。そこでは、2つのリポキシゲナーゼの精製・クローニングの研究をしました。初め、15-リポキシゲナーゼの精製を目指しました。材料はヒト白血球で、毎週百人分の輸血用血液の白血球成分から酵素精製を行い単一バンドまでの精製に成功しましたが、cDNAクローニングはアメリカのグループに先を越されました。白血球cDNAライブラリー作成のついでに、思いつきで作っておいた血小板cDNAライブラリーから12-リポキシゲナーゼをクローニングすることができました。量は多くないのですが、血小板にもmRNAがあります。研究は思いがけないところから展開するものだと思いました。生化学者になろうと決心したのは留学中のことです。
東京大学生化学時代〜現在
帰国後、清水先生が東京大学医学部第二生化学の教授に就任されたのに伴って、助手にしていただきました。当時清水研ではアフリカツメガエルの発現系を用いて血小板活性化因子の受容体クローニングに成功したところでした。私の仕事に大学院生の指導が加わり、研究内容にも受容体のクローニング、シグナル解析が加わりました。特に、大学院生であった横溝岳彦氏(現
九州大学医化学教授)がロイコトリエンB4のグループに加入して、新しい不活性化経路の発見、受容体のクローニングへと研究を発展させてくれました。また、東大病院老人科の長瀬隆英氏(現 東京大学呼吸器内科教授)との共同研究で、遺伝子改変マウスを用いて気道炎症における生理活性脂質の関与を明らかにすることができました。これらには、私の呼吸器内科医としての臨床経験が多少とも役に立ったのではないかと思っています。
2000年に群馬大学に赴任した後は、生理活性脂質の受容体研究とリン脂質代謝研究に取り組んでいます。研究手法としては、脂質の分析、酵素精製、受容体を介したシグナル解析、遺伝子改変生物を用いた解析などを行っています。
大学卒業後にしばらく内科に所属していたことで、一見かけ離れているように見える基礎研究を行っていても、つい疾患との関連や治療法の開発などに思いを巡らせています。これは、医師である基礎研究者の特性であり利点だと思います。学生時代に基礎医学に触れることができたおかげで、臨床医となった後でもあまり抵抗なく基礎医学の世界に入ることができました。様々な偶然にも恵まれていたと思います。現在、基礎医学を目指す医学生や若手医師が激減しています。これから、医学・医療が大きく飛躍しようとしている時に、実にもったいないことだと思います。医学生の間に基礎医学を体験し研究生活に触れることは、研究者としての物の見方・考え方を育むことに繫がり、臨床に進んだ場合でも医師としての資質の向上に役立つと信じています。
筆者略歴
1977年 |
東京大学 医学部 卒業 |
1979年 |
東京大学 医学部附属病院第三内科 医員 |
1984年 |
東京大学 医学部栄養学教室 研究員 |
1987年 |
スウェーデン カロリンスカ研究所 医化学教室 客員研究員 |
1991年 |
東京大学 医学部第二生化学教室 助手 |
1998年 |
東京大学 大学院医学系研究科生化学分子生物学 助教授 |
2000年 |
群馬大学 医学部生化学教室 教授 |
2009年 |
群馬大学 理事・副学長 |
2011年 |
群馬大学 大学院医学系研究科長・医学部長 現在に至る |
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