大学の教授が研究医として歩みだした頃のことを回顧します。 | |||||
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「第Ⅷ因子の解明と血友病Aの治療開発をめざして」 奈良県立医科大学 医学部長・血栓止血研究センター長 嶋 緑倫 |
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留学したScripps研究所のラボで |
Istanbulでの講演の後。患者さんとその両親 |
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私は、小児喘息のため小児科の先生にたびたびお世話になったこともあり、自然に小児科医の道を選びました。1979年に奈良医大小児科学教室に入局しましたが、当時の教室は全員凝固が専門という特殊な小児科でした。 研修医1年目から凝固検査を仕込まれ、助手の先生から「嶋吉」と呼ばれ、まさに“丁稚”でした。研修医2年目の時に教授から早くも「第VIII因子を純化して、ウサギに免疫して抗第VIII因子抗体を作れ」と言われました。これが、私の生涯の研究テーマである第VIII因子解明の始まりでした。第VIII因子(FVIII)は凝固内因系の必須の補因子で欠乏すると血友病Aで知られるように幼少期から重篤な出血症状を反復します。研修医2年目から研修の傍ら、研究室で第VIII因子の純化にチャレンジすることになりました。上司の指導のもと、FVIIIがvon Willebrand因子(VWF)と複合体を形成している特性を利用して、抗VWF抗体の免疫吸着体にFVIII/VWFを添加後、塩化カルシウムでFVIIIを溶出する方法で純化しました。しかしながら、得られたFVIII分画は蛋白量としては全く検出できず、活性のみの分画でした。家兎に免疫をしましたが、全く抗体はできませんでした。今から考えると水で免疫していたようなものです。 その後も研究はなかなか進まず、2年間の研修も終わってしまいました。研修後の赴任先は奈良県南部の県立病院でした。小児科医としての仕事は楽しく、病院勤務医の道もいいかなと思うようになり、研究に対するモチベーションも徐々に薄れていきました。そんなとき、教授から呼ばれ、「FVIII/VWFのモノクローナル抗体を作るために第2病理学教室の助手となって大学に帰って来い」と予想もしなかったことを言われました。なぜ、病理なのかと思いましたが、理由は、第2病理学教室ではマウス乳がん細胞のモノクローナル抗体の作製を開始していたからでした。さすがに、臨床を中断して病理となると迷いましたが、“モノクローナル抗体”に非常に興味があったので決心しました。1981年に第2病理学教室に赴任し、最初に、抗VWFモノクローナル抗体の作製に挑戦しました。半年かかりましたが、5種類の抗VWF抗体クローンを作製することができました。結構な量の抗体がとれたので、次の研究ステップであるFVIII純化に進みました。かつて、研修医のころ、抗VWF抗体の免疫吸着体を使った免疫純化と同じ方法です。1L弱の大きな抗体カラムを作って純化したFVIIIが銀染色でバンドとして見えた時は感激しました。いよいよ、私の研究は最終ステップである抗FVIIIのモノクローナル抗体の作製へと進みました。かなり苦戦しましたが、半年後、最初の抗体クローンがゲットできました。immunoblotでFVIIIの太いバンドが出たときは本当に嬉しく思いました。研修医の時にできなかったFVIIIの抗体がやっとゲットできたわけです。 結局、病理学教室には3年半いました。その間に多数の病理解剖も経験し、臨床の刺激は少なかったですが、学生の時にはピンとこなかった病理学がリアルにわかるようになり、いい経験をしたと思っています。 第2病理学のあと、米国サンジエゴのスクリップス研究所に留学する機会を得ました。最初の仕事は、なんと、日本でさんざん苦労してきたFVIIIの純化でした。魅力的な研究テーマをもらえるものと期待していたので、がっかりしました。方法は奈良医大で私がやっていたのと同じでしたが、カラムのサイズが4Lとかなりのサイズでした。その後、半年にわたって、FVIIIの純化の仕事をさせられ、せっかく純化したFVIIIも米国人の研究者に提供しなければならないという屈辱も味わいました。さすがに、ストレスがたまり、休暇をお願いしたら、あっさり許可していただきました。10日間、家族でグランドキャニオン周辺を車で旅行しました。アメリカの自然の雄大さを目の当たりにし、ストレスがスーッととれました。その後、気を取り直して実験を開始することができました。研究が煮詰まったら気分転換することはとても重要です。ようやく、上司からFVIIIの中和能を有する抗FVIII家兎抗体とモノクローナル抗体のエピトープを同定するようにと、初めて研究テーマらしい課題をいただきました。合成ペプチドを固相化してELISAでエピトープを解析しました。その結果、FVIIIのアミノ酸残基Asp-Tyr-Asp-Asp-Thr-Ile-Ser (1663-1669) がFVIII活性を中和する抗体の結合部位で、特にAsp1663 とTyr1664の両残基がエピトープの構造上必須であることがわかりました。 ある時、ボスに報告する機会があり、その結果を見せたら目つきが変わり、唸るように”exciting”と言われました。留学して初めての誉め言葉でした。幸い、その結果はJBC(Journal of Biological Chemistry)に一発で受理され、ボスも喜んでくれました。留学時代の研究の仕事は結果が出なければ地獄ですが、結果を出せば認めてくれるという、わかりやすい世界でした。また、家族とランチを持って方々へピクニックに行ったり、家族同士でパーティーをしたりで楽しいこともいっぱいありました。 帰国後はFVIIIの凝固活性を抑制する各種モノクローナル抗体を用いて研究を進め、FVIIIの活性化に必須のトロンビンや活性型第X因子のFVIII結合部位を同定し、日本からJBCに発表することができました。日本からJBCに発表することが、帰国後の目標でしたので非常に嬉しく思いました。 また、これがきっかけになって、教室のFVIIIの構造・機能に関する研究が進むことになりました。 2003年8月のある日、中外製薬の研究者が奈良医大小児科を訪問されました。その時の内容は“FVIIIの作用を代替するbispecific抗体”に関するものでした。この抗体は一方の手がFIXa, もう一方の手がFXを認識することで両因子をFVIIIと同じように位置関係に配向することによってFVIII作用を発揮するというものでした。抗体製剤となると、皮下投与が可能で、長時間作用することが期待できますし、さらに、何よりも血友病Aの診療で重大な問題であるインヒビターがあっても作用を発揮するという、まさに、患者さんが、そして我々が求めてきたまさに夢の治療製剤になるのではとの興奮が体中をかけめぐりました。即座に共同研究をすることを決断いたしました。奈良医大では凝固機能解析を主に担当して共同研究は進みました。途中、動物実験がうまくいかず、このプロジェクトは消滅しかけましたが、あきらめることはできず続けました。その結果、計4万のbispeficifc抗体クローンからスクリーニングを開始し、幸運なことにたった1個でしたが、有望なクローンを得ることができました。そして、この抗体はカニクイザルの後天性血友病Aモデルで出血抑制効果を発揮することを明らかにすることができました(Nature Medicine 2012)。2012年から我が国で血友病A患者を対象とした臨床試験を開始しました。第1例は私が長年見ていたインヒビター陽性の患者でした。週1回の皮下投与でしたが、それまで、頻回の出血に悩んでいたのが、ACE910投与開始後出血はなくなり、その効果に私も患者さんも驚きました。たった12名の患者さんでの検討でしたが、2016年、研究成果をNew England Journal of Medicineに発表することができました。日本での臨床試験の成功後、国際第3相試験が実施されました。現在、この抗体製剤(emicizumab)は50か国で承認され、6500名以上の患者さんに使用されています。何よりも患者さんに直接貢献できたことが医師としても大変うれしく思っています。 私はこれまでFVIIIを標的に40年間にわたって研究を続けてきました。研究は決して楽な作業ではありませんが、新たな結果が出た時の喜びと達成感は研究でしか味わえません。また、研究の先には治療への貢献、そして、患者さんの笑顔が見えてきます。研究を志す若い皆さんを心待ちにしています。 【私の履歴書】
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