*第58回*  (2020.6.26 UP) 前回までの掲載はこちらから
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今回は京都府立医科大学での取り組みについてご紹介します。

京都府立医科大学『学生研究支援プログラム』について
文責 :   京都府立医科大学 八木田 和弘 研究部長

1.はじめに
 現在、医学研究と実臨床の距離が近くなり、サイエンスとしての医学の素養が医療のレベルに直結することも多くなっています。それに伴い、基礎から臨床まで一つの「医学」の体系の中で捉えることの重要性がますます高まってきているように感じられます。しかし、現実には基礎医学と臨床医学の分断が進み、基礎医学教室に身を置く医師も大きく減少し、多くの大学で基礎医学系教室の統廃合が進んでいます。その背景として「基礎研究から応用研究への予算シフト」「役に立たない研究不要論」などの昨今の国の方針があると言われています。そして、医学部においては、さらに新臨床研修制度と新専門医制度による大きなキャリアパスの流れによって、いわゆる研究医と呼ばれる主に基礎医学を担う人材の枯渇が決定的となってしまいました。

 本学の「学生研究支援プログラム」をデザインするにあたり、竹中学長に加え新進気鋭の樽野陽幸教授(細胞生理学)という世代が異なる3人で議論を重ねました。私も樽野先生も学生研究の経験者でもあり、上記のような内外の様々な状況を踏まえつつ、特異な立ち位置で150年間の歴史を紡いできた京都府立医科大学の研究人材育成のあり方について考えるところから始めました。基礎研究医の育成につながる制度設計であることはもちろんのこと、臨床医学における「統合的医学研究」を牽引する人材育成も視野に入れた学生研究支援の目的と趣旨を構築しました。


2.「医学研究」再考

 今年初めから猛威を振るっている COVID-19 は、我が国の医学・医療の総合力が試される未曾有の困難でもありました。現場の最前線で治療に当たる医師は、未知のウイルス感染症に対し、まさにエビデンスのない闇の中に一歩踏み出すというこれまでにない経験の連続だったことと思います。この間、感染症専門医はもとより、ウイルス学、疫学、免疫学、統計学、数理生物学、といった様々な分野の研究者が学際的コミュニティーをつくり情報を共有・分析し、可能性のある「一歩」を編み出していく彼ら彼女らの姿を目にしてきました。
 「医学」とは本来このような現場から生み出されてきたものだということに、改めて気づかされます。絶対的な「正解」がない中で、最後はそれぞれの局面で誰かが決断を下すのです。その一歩を踏み出す勇気を与え決断を後押しするものこそ「科学の力」であると考えています。これからの医師には、このような科学の力を備えた上での専門性が必要であると我々は考え、少し広い意味での研究人材育成について議論を重ねてきたところでした。
 基礎研究については、この10年以上にわたり折に触れて、わが国を代表する著名な研究者などが中心となって「すぐ役に立つ研究だけでなく広く薄く基礎研究の裾野を維持できるような支援」の重要性を訴えています。一方で、支援対象分野の「過度な選択と集中」を問題視する向きもあります。「基礎 v.s.応用」という対立軸に対し「分野間の格差」の問題ですが、総論で「基礎医学を含む科学の裾野をやせ細らせる」という現状に対する危機感は共有できても、各論になると小さくなったパイの奪い合いになりかねない難しい問題です。
 ただ、我が国で指摘されている基礎研究から応用研究重視へのシフトは、特に生命科学分野で顕著な世界的な潮流でもあります。その証拠に、Nature、Cell、Science といったいわゆる三大誌に掲載されている論文の内容が7~8年前から大きく変化してきています。疾患研究に関する内容でも、実際の患者サンプルを使用した医学研究論文が非常に多くなっていることは言うに及ばず、さらには Nature や Cell に臨床治験論文が掲載されるに至って、さすがに潮流の変化の大きさに驚いています。しかし、これらの論文を詳しく読んでみると、その背景にある基礎研究の知見とセットで臨床データの解析結果が示されていることに気づきます。つまり、「医学研究」の定義が遷移し、基礎も臨床もない「統合的理解」のための医学研究の必要性が高まっています。学生に対し「研究は大切だ」と啓蒙するにあたり、このような世界の医学研究の流れを踏まえた医学研究人材の重要性を、多くの医学生に理解してもらうところから始めるのが我々の「研究学生支援プログラム」です。

3.「学生研究支援プログラム」の設立および現状と今後について
 本学は、明治5年の創立という我が国でも屈指の歴史を持つ医科大学でありつつ、一貫して臨床志向が強く京都はもとより関西地域の地域医療を長らく支えてきた医科大学です。もちろん、旧制大学に昇格してから来年で100年を迎える本学は、アカデミアへの貢献も大きいものがありました。しかし、やはり、臨床医学の道に進む学生がほとんどで、基礎研究を志向する学生は私が学生研究を始めた頃(30年前)から極めて稀有な存在でした。この点は旧帝大とは趣を異にするところです。ちなみに同じ頃、京大医学部や阪大医学部では、各学年10人以上は基礎医学教室で研究に携わっていました。もちろん、本学も10数年前に「基礎医学人材の育成」を掲げ4年生で一旦退学するMD-PhDコースを制度としてつくったこともあるようですが、当然これまで一人も選択した学生はいません。長らくその存在も忘れ去られた歴史遺産となっていました。
 しかし、ここにきて、上述の通り、医学における「基礎」「臨床」「疫学」の距離はこれまでになく近づき、多くの医師にとって医学研究の素養が必要なスキルの一つとなっています。このような観点から、基礎医学人材育成の重要性に加え、できるだけ多くの医学生にリテラシーとしての基礎研究を経験してもらうことにも一定の意義があると考えています。このような本学の特徴を踏まえた「研究学生支援プログラム」を大学の事業として創設しました。

 

 このような理念に則り、「学生研究支援プログラム」の支援対象は幅広い。基礎・社会医学系教室に所属しその研究室の一員となって研究に携わることが条件となりますが、研究内容についてはいわゆる「基礎研究」にとどまらず、人を対象とした医学研究や疫学研究なども含み、統計学的解析や AI 医学といった解析技術の開発も含まれます。本プログラムは、これらの研究活動のなかで、学会発表にかかる経費や共同研究のための国内旅費などの支援はもちろん、学園祭(トリアス祭)および学友会ホームカミングデーとタイアップした「KPUM学生研究フォーラム」としてキャリア支援につながる取り組みも用意しています。医学研究、特に基礎研究は、何よりもまず本人が「研究が好き」という気持ちを持つことは必須です。しかし、それだけでは自分のキャリアとして選ぶ勇気が出ないことが多い。学生時代に本格的研究を経験した人材が持つ価値の見える化、基礎医学と臨床医学が連携したキャリアパスの構築など、環境を整えることも非常に重要な本プログラムの責務となっていきます。卒後臨床研修での基礎研究医プログラムの設置に伴い、本学でも学生研究からシームレスにキャリアパスを展開できる卒後研修プログラムを構築しています。学生研究支援プログラムの中から選抜し、基礎研究医プログラムに進む学生には研修終了後の大学院学費免除や奨学金などのキャリア支援制度もセットで提供する体制を整えました。

 本学の「学生研究支援プログラム」は今年度から制度としてスタートしたばかりであり、そこに新型コロナウイルス感染症による緊急事態宣言、さらに京都府では大学に対する休業要請が5月31日まで継続され、様々なイベントや学生募集ができない状況が続いています。しかし、本プログラムは、これまでに研究室に入って研究を実施している学生たちが主体となるものであり、実質的な支援活動は継続して行われています。学生の紹介にもある通り、これまでにもNeuron やPNASなどの一流雑誌に共著者として名前を連ねた学生も多くいます。今後は、幅広い研究領域や分野で様々な形で研究に参加する学生を支援し、キャリアの一つとして研究者を素直に選択できる文化を作っていきたいと考えています。

4.終わりに
 学生研究支援は、押し付けであってはなりません。また、基礎医学人材育成の観点だけでも不十分だと考えています。学際的医学研究の必要性が高まるこれからの医学においては、本来は全ての医学生が科学的素養を身につける必要があると考えています。その意味でも、キャリア形成の上で基礎か臨床かの二者択一ではなく、互いに行き来する選択肢もあって欲しい、またこれからの医学を考えればそうあるべきです。学生一人ひとりが自分の人生を納得のいく豊かなものにするために、ある程度の自由度(特に精神の自由度)を認める文化の醸成もまた、我々教員側にも求められているように思います。